わかる、認識する、体感に残る

我が子の1人が、先日放送されたスズメの戸締まりを見て、ストーリーの核となるものは何だったのかということについて、新たな気づきを得て認識したらしい。公開当時、子ども2人と私で映画館へ観に行って、ひとしきり "ダイジンが可愛かったね" と話した記憶は朧げにある。

新たな気づきは、私にとっては既知のものだったので、あの時の私が子どもの話を受けてから、子どもと対話をしていたんだなと少し安堵した。もし、初めて観たときに、しぜんに入ってきた情報で塗られた私の認識で話を進めていたり、畳みかけたりしたら、子どもの気づきにズレが生じたはず。(そうなったからといって、ダメとも思わないのだが、少なくとも私は望んでいない)

また時がたって観たときに、その時々の経験値でもって、子どもたちは再び新たな気づきを得るのだろうな。