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【運次第】才能と努力できる遺伝子

努力できないのは遺伝子のせい。
つまり、努力できるかは運次第。
そんな論調が強くなってきている気がする。
この思想は、実に危ない。

確かに、遺伝子の影響はあるのかもしれない。
しかし、遺伝子で多くが決まるというのであれば、
世の中の殆どの人は
「努力できる遺伝子など持っていない」
ということになる。

私は努力できるかどうかは
後天的なことで殆どが決まると思っている。

たしかに、一部に
「努力を努力と思わない天才」
はいる。
私は、それを真似できる気がしない。

しかし、そんな天才は
どう考えても1%もいない。

努力できるかを遺伝子のせいにするのは、あまりに危なすぎる。
それが本当なら、一部の天才を除いて、努力なんて誰もしなくなる。

世の凡人の殆どは、自分をコントロールしてやる気を起こさせる。
苦労を感じながら、鍛錬をする。
目標達成の対価をイメージして、努力を絞り出す。

世の中は、1%にも満たない天才だけで構成されていない。
99%以上の凡人で構成されている。
その中で「努力遺伝子」の影響がどれほどのものだと言うのだろうか?

私は、優秀な凡人は、戦略的に努力をしていることを知っている。

【努力のフロー】
1.優先順位の低いものを生活から排除
2.強制的に学習環境に身を置く
3.つまらなくても我慢
4.何が何でも継続
5.学習してきた ”点” が ”線” となって繋がる
5.少し楽しくなってくる
6.学習が加速
7.実力がつく
8.楽しい
9.壁に当たる
以下、繰り返し。

優秀な凡人は、努力遺伝子などに頼らない。
努力が辛くないわけがない。
嫌でも、強制的にやる。
諦めるという選択肢をつくらない。

実際、何かに対して努力をできる人は、他のことにも努力できる。
それは、努力のフローの中に「楽しさ」も含まれることが頭に深く焼き付いているからだ。

幼少期に「強制的に努力させられた人」は、有利だ。
努力のフローが体に染みついているからだ。
何か一つのことに集中して努力した経験を持つ人は、他のことにも努力ができるようになる。
遺伝子よりも、環境の影響の方が強い。
こういった意味で、親の教育は非常に重要だと思う。
努力する親の背中を見て育った子供は、努力ができる人になることが多い。
「努力」を教えた時点で、親の教育は、ほぼ完成している。

たしかに、天才はいる。
努力とは別に「才能」や「適性」というものが存在することも明らかだ。
しかし、天才に成ろうとする必要性はない。
凡人でも、優秀な人には成れる。
遺伝子の力など借りなくても、自力で優秀な人まで辿り着ける。

ただし、サボった時期が長い場合、取り返すのに長い時間が掛かる。
目標に達するまでのハードルは高い。
これだけは覚悟しなければならない。


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