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ひとり相撲をする子どもたち。

毒親育ちは親に対して永遠ひとり相撲だ――。

私は以前(数年前)親と絶縁するかどうか悩んでいたとき、『毒になる親』を読んで思い切って親に手紙を書いた。育ててもらったことに対する感謝と同時に、私の親への気持ちをA4用紙に5枚にしたためた。離れて暮らしていたためそれまでは電話で話していたが、そこでは親は発狂したように私を罵倒。それにより私はすっかり精神を病んでいて親の声を聞くだけで身体ががたがた震えて涙が止まらなかった。

手紙を書いたことで、私は親に対する罪悪感を増したものの、少しは私の気持ちを理解してくれるだろうと思った。毎日震える胸を押さえて、返事を待った。

しかし、手紙の返事は来ることはなかった。

その数年後。私は妊娠しすでに臨月近かったが親と対話しなければと思った。子どもが生まれると、私はもう親と対話するような余裕は生まれないだろうと考えての行動だった。

数年ぶりに会う親に、私は全く『親子』を感じなかった。他人のような感じがした。あまり顔を見ないようにして受け答えは自然に敬語になった。しかし、私の気持ちとは裏腹に親は以前と全く変わらないようだった。月日の流れを感じさせないようにしているところが私の気持ちを萎えさせた。私は遠慮がちに、思い切って手紙の件を話した。

「ああ、手紙ね。来たよ。でも読めなかったね。頭痛がしてめまいがしてたしね」

勝ち誇ったようにそう両親は言った……。

毒親育ちの子どもは皆、毒親に気持ちをないがしろにされてきた。極端な言い方をすると、人権を完全に無視されてきたと言ってもいい。毒親にとって子どもの意見や気持ちというのはないのも同然だ。私がよく言われるのが「親の気持ちはどうなるんだ」というセリフだがそのセリフに親への配慮はあっても子どもの気持ちはない。自分勝手で、自分本位な言葉は親の口から次々飛び出す。昔から嫌いな言葉に「親なんだから」という言葉がある。うちの親は本当にこのセリフをよく吐いた。「親なんだから○○して当然でしょ?」「親なんだからいいでしょ?」

「『親子』である前に人間同士なんだけど」という私の意見はいつになったら理解されるんだろうか。

私はその後親が以前にも増して『宇宙人』に見えた。毒親からの言葉を聞けば聞くほど脱力し、同時に吐き気がこみあげた。

今でも、私にとって親は今まで出会ったどんな人間よりも未知の(言葉の通じない)人たちだ――。親でなければ絶対に絶対に付き合わない。そんな感じ。



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