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毒親のもとで育つということ。

一言でいうと、うちの親は子どもコントロールする親だった。子どもが自分をの意図に反することをしたり、発言したりすると徹底的に攻撃した。頭の中に常に理想の我が子像があり、それに近づけるために「躾」した。

もちろん、被害を受けたのは私だけではなかった。私は姉と兄がおり、その二人も例外なく被害者だった。

6歳離れた姉は要領が悪く、頭の回転も良いほうではなかった。そのため、私が幼いころからだいぶ父の怒りを買っていたらしい。例えば、ピアノの発表会近くになるとピアノの練習をマンツーマンでされ、間違えるとピアノの蓋を指の上に落とすと脅されていたり、ことあるごとに怒鳴られ、馬鹿にされていた。しかし、私と違って必死になって気に入られようと勉強し、成績を上げていたので暴力沙汰は長く続かなかった。そのころは私に集中していた。4歳離れた兄は、姉のそんな姿を見ていたため、大変に要領が良かった。どんなときにも賢く立ち回り、親の気に入られるようなことしかせず、反抗期もなかった。成績は常にトップ。外でもにこにこと、生徒会役員なんかをしていて誰に聞いても高評価だった。

そしてこの二人は、父母の希望する高収入・人から尊敬される・社会的地位の高い医療に携わる人間になった。両親は「自分の思う通り」に子どもを育てることができたのである。

しかし優秀な2人は、私から見て普通の人ではなかった。

姉はものすごく精神的に不安定な、人の庇護がないと生きていけないような大人に成長した。常に誰かに見られているという意識がないと生きていられない人(要するにかまってちゃん)で、デリケートで傷つきやすい小さな子どものような人になった。そして兄は、すごく神経質な、自分勝手な大人になった。外面がいいのはそのままに、他人に対して心底冷たい人間。自分にメリットがなければ絶対に人を助けたりしない。「思いやり」のかけらもない人間に育った。

2人は親の精神的・肉体的なコントロールを、全て飲み込み「立派な」大人になった。共通するのは、とにかく誰かの目を気にしているということ。あと、人に対して過度にふるまうということ。私も含め私の姉兄は、人の評価がとにかく気になる。親に褒めてもらいたいと願い続けるように、人にも同じように評価を受けたい。いい人と思われないと死んじゃう、くらいに思っていて、初対面の人に対して信じられないくらいアピールする。人が求めることを100パーセントかなえようとしてクタクタになってしまう。

毒親育ちだとどうなるか、というのはまだまだあるのでそれはまた詳しく書こうと思う。




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