見出し画像

毒親、うちの場合。(1)

小さいころ、それこそ小学校に上がったくらいのころからそれは始まった。

5歳までの私は両親に対して本当に油断していた。父は陽気で優しいし、母もいつも疲れていることを気にしなければ普通の母だった――。

しかし小学校に上がり、勉強をしなければいけなくなると両親の私への風当たりは一気に強くなった。私の天真爛漫さを両親は決して許さなかった。算数の宿題で少しでもおかしな点を見つけると徹底的にしごかれた。

父がチラシの裏に書いた紙に問題を書く。一問でも間違うとなぜ間違うのか問い詰められ、黙っていると殴られる。正しい答えをと言われ答えが間違っていると殴られ、合っていても遅いと殴られる。私が殴られているのを柱の陰で母は腕を組んでただ見ている。

自営業の飲食店で、両親は常に家にいた。客のいない午後を見計らって、それは店内で行われる。

怒鳴っている父はどんどんヒートアップしてくる。しまいには、包丁を持ってきて「次間違えたら指詰める」と言ったり、「焼けた鉄板に手のひらを押し付けてやる」と耳元でささやかれる。書いている後ろからじっと見つめている。思い切り小突かれて何度額をぶつけたかわからない。苦笑

おかげで私は今でも人が後ろから自分のしていることを見ていると過度に緊張するし、間違うことを恐れる。(これはADHDのせいもあるが)

父は気まぐれで、サイコパスかと思うほどの人なので、楽しく家族旅行をしていても急にぶち切れて私に問題をふっかけては遅いと車を路肩に止めて車から引きずり出して始める。また、人前でも子どもを叱れるということを自慢にしているので、とにかく人前でも暴行された。で、店に来る客に自分がどれほどしつけの出来る「出来た親」かを気持ちよく語っていた。

母は、父に本当によくキレられ、「やすこぉ(仮名)!!」と叫ばれ、「ハイッ!」と小気味よく返事をしていた。物を投げられたり、「死ね」「臭い」「不細工」と言っては笑われていた。小指に足をぶつけて苦しんでいても、「そのまま死ね!」と笑われるような人だった。お客さんの中には「いい加減にしてあげなよ~」と言う人もいたが、たいてい客の前では父はいい夫、いい父を演じているので平気だった。

私は幼いころから本当に母には同情していた。母は常に疲れた顔をしており、どこででも目を閉じていた。本人はそれを「気を失っていた」を言ってうたた寝することすら弁解をしていた。「お父さんと別れさえすれば、お母さんも幸せになれるのに」と本気で思っていた。

しかし、私は大人になってから思い起こすと母から愛情を感じたことはない。ていうか、母との思い出がほとんどない。

……その(2)に続きます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?