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ふしぎに思っていたのは私だけかしら?支援学級について思っていたこと

ずっと前から、ふしぎに思っていたんです。なーんか、引っかかる違和感!

でも、だれも何も言わないから ずっと口にはしなかった。
やっと思いが形にできたのは勤めて30年たってから・・・

そして・・・知りました!
私のふしぎに感じる思いは大切なことで、やれないことはないことを!


支援学級への違和感①

支援学級は、どうしてひらがな名前なのだろうか? ふしぎ・・

新しい学年になったら、子どもたちはほこらしげに期待を込めて言う。
1年生になったんだよー、とか
2年1組だよーとか、教室は2階になったんだよー、とか

支援学級の子は、1年生も、2年生も、6年生も、
「たんぽぽ」とか「ひまわり」と決まっているので、
名前も教室も変わらない。

もちろん、変わらないことで安心する子もいるし、教室が変わらないことで安心する子もいるから・・同じがいけないという意味ではありません。
 
ただ、
何年生になったのー? 何年何組になった?と問われて
一瞬、黙ってしまう子もいるのです。

そんなとき、お母さんは、ちょっと助け舟を出して答えます。「たんぽぽさんなんです」と。

幼稚園、保育園のクラス名は「たんぽぽ」さんや「いちご」さんだった。

今は小学生!
何年生?と聞かれたら、3年生と答えたい。
何年何組?と聞かれたら、3年2組って答えたい。
と、思っている子どもたちもいるのです。

通常学級名簿に名前があればどう?
「3年2組のmarukoです」って言えますよ。
「3年2組〇〇です」って答えていや子はいないと思います。

支援学級の名前を変えることは難しい!と、思いますか?
できるなら、学級名を工夫してほしいですか?
それそれともこのままでいいと思いますか?
支援学級児童も通常学級の名簿に名前をいれることをどう思いますか?
別々の方がいいと思いますか?


支援学級への違和感②

支援級の2年のAさんは2年1組が親学級とか支援級5年のBさんの交流学級は5年2組となっていて、時と場に応じて普通学級と交流します。

交流は、支援学級から通常学級におじやまする形です。う~ん、なんだかなあ・・・違和感あるんですよねえ。

交流は
1~2年生の時は友達からも話しかけてもらえてを楽しめることが多いです。
学年が上がるにつれて、学級というグループの雰囲気に気を遣う子や交流学級に行くと緊張して静かになる子や落ち着かない子も出てきます。
もちろん、得意分野に優れている子やコミュニケーションが好きな子の中には、大勢で過ごすことを喜び楽しみ交流を楽しんでいる子もいます。

では、交流の視点を変えて
支援学級から通常学級に交流に出かけるのではなく、通常学級から支援学級に個別学習に行くのはどうでしょうか。

20年ほど前の話です。通常学級からたんぽぽ学級に個別支援を受けに来ていたCさん。本人は支援級をとても楽しみに勉強していましたが、お母さんは周りに気づかれないかいつも心配していました。「たんぽぽ学級に行ってるよ」と周囲に知られたくないので、いつもびくびくしていました。周囲の視線を気にする考えや見方が、まだまだ残っていたころの話です。

今は、どうですか?
個別支援が受けたいので支援学級を希望される方が多い都市もあることを耳にしています。支援教育の大切さもずいぶん周知され支援も受けやすくなってきました。世の中の理解や関心も高くなり、権利としての支援という考え方は柔軟に理解してもらえるようになりました。

支援学級在籍の児童が通常学級に登校し、朝の会が終わった後、支援学級に個別学習に出かける案はありですか? 
給食や学活、必要な交流科目を通常学級で行いながら、必要に応じて支援学級で個別指導を受けるのはどうですか?
意見を頂けたらうれしいです。

次は、marukoの20年前の取り組み。
特殊教育から特別支援教育への移行時に試みた「特別支援学級の経営」の話です。


支援学級の担任1年目

特別支援教育への移行時の頃、
支援学級担任をしてほしいとの打診がありました。

私は、恐る恐る?意を決して申し出ました。

学級名を「学習室」に変えてください。もし、変えていただけるのであれば、支援学級を持ちたいです。名前を変えてもらえないなら、学級経営にイメージが持てないのでお断りしたいです。

なーんという、申し出なんでしょ!と、却下されることも覚悟の上です。

ところが、あっさり!
marukoさんがそうしたいならいいですよ。学級名そのものは変えることはできないけれど、教室のプレートは「学習室」に書き換えましょう。

なーんということでしょう!
ひらがな学級名「たんぽぽ」から「学習室」に変更できました。

さっ、その次です。
教室を学習室に変身させます! 

1年かけて「学習室」へ、イメージ戦略

学級内にトランポリンや小さな跳び箱、
様々なグループ活動用のグッズが視界に入る教室の整頓が必要です。

大きなものは必要な時に取り出すことにして、近くの倉庫に置き場をつくりました。ロッカーに扉をつけて中身が見えないようにし、必要な時に取り出せるようにしました。

教室は奥と入口に二分しました。
入口から見えるところに机を並べ、通常学級と変わらない学習雰囲気を出しました。ここは勉強する教室いう認識を校内の子どもたちにも持ってもらうためです。奥は、支援学級の子たちがくつろげる場にしました。

支援学級がなくなったわけではありません。
教室プレートを「たんぽぽ学級」から「学習室」に変更し、支援学級「たんぽぽ」の児童は「学習室」の中で勉強することにしたのです。

「学習室」は図書館や街の公共施設にもあり、多くの子どもたちの耳にも馴染みがある言葉です。支援学級・通常学級と分けないで、誰もが違和感なく利用できる教室を作ることは、インクルーシブ教育の考え方に沿っているのではないかと考えました。

ここは何をする教室なの? (静かに、勉強する学習室だよ)
視界から入るイメージ作りをしました。

支援学級担任 2~6年目

「学習室」という名前が知られるようになりました。

休み時間、通常学級の児童も利用できるようにしました。

<グループスペース>
・グループスペース は、教室出入口側にしました。
読書コーナーを設け、穏やかで入りやすい雰囲気づくりの環境を工夫しました。休み時間なら、何年生でもだれでも利用できる教室です。

・季節を感じられる写真や絵の切り抜きなども飾りました。
児童机に板を乗せただけですが、丸テーブルにテーブルクロスをかけて花も飾りました。

・支援学級のグループ活動はグループスペースを使います。


<個別学習スペース>
・個別学習スペース は、低い間仕切りの奥です。
・落ち着いて勉強できる守られた空間を工夫しました。

・グループスペースとの間仕切りは、立ったら見えるけれど、座ったら見えない高さです。

支援学級の個別指導はここでしました。

・支援学級児童の人数分の机を置き、ロッカーには扉をつけて中が見えないようにしました。・畳コーナーは1畳ぐらいにし、間仕切りをして必要に応じて使い分けができるようにしました。 


<学習室の入り口には、このように掲示しました>

学習室は、だれでもつかえます。
①     静かな声であいさつをしましょう。
  入るとき「しつれいします」
  帰るとき「しつれいしました」

②     静かに本を読んだり勉強をしたりしましょう。

③     本棚の本は読んでもいいです。
  そのほかの用具を使いたい人は先生に言ってから使いましょう。

④     歩き回ったりおしゃべりしたりをする人は使えません。

⑤ みんなで静かに静かにすごしましょう。


<通常学級から学習室へ学習用具を持って個別支援にでかけます>
支援学級を学習室にしたので、支援学級在籍の児童は交流学級の○年○組にランドセルを置き、必要な個別支援のために交流学級から「学習室」に勉強に行くことにしました。

登校したら交流学級のロッカーにランドセルを入れ、「学習室」の時間割に合わせて手提げ袋に学習用具を準備し、朝の会をすませたら学習室に勉強にでかけます。

「いってらっしゃい」と手をふって送り出してくれる学級もありましたよ。もちろん、給食は交流学級です。

通常学級との交流学習の時間数は個人の特質によって異なりますが、朝の会や給食は基本としました。一緒に過ごす時間が多ければ多いほど、長ければ長いほど、短くてもが楽ければ楽しいほど理解共感が増えていくと実感しました。

大切なのは、担任が互いの学級の児童を大切にするロールモデルになることです。

<通常学級の名簿に名前をいれました>
交流学級の名簿に名前を入れました。もちろん、五十音順です。学年行事も給食もランドセルのロッカーも机も通常学級ですから当たり前のことです。勉強は少ない人数の方がわかりやすいので「学習室」ということだけなのです。
今まで別々だった学級名簿を当たり前に一緒にしたら、児童たちは違和感なく学年学級の一員として過ごせました。

「何年何組?」と問われて「たんぽぽ学級」と答えるより、「○年○組」と答えられた方が進級の喜びを味わえるというものです。授業参観の時だって、保護者の方は○年○組の名簿にチェックできるようになりました。当たり前のことです。


<学習室をやって難しかったこと>
決まりをつくるだけ、場所を作るだけでは「学習室」は効果的に活用できません。休み時間に「学習室」を見守る支援学級担任の負担は相当大きいです。

児童に「学習室のきまり」を理解させ、静かな学習室の雰囲気を作り上げるには、地道で気長な大人の工夫と協力が必要です。教師自らがお手本です。言葉の指導だけではできません。

「学習室」を成立させるには、通常学級の担任が支援学級の児童に心配りをし、支援学級の担任も通常学級の児童に心配りをすることに尽きると思いました。お互い、指導の丸投げになっては大人の不満が溜まります。この点が一番のポイントです。

コミュニケーションは児童よりも大人同士の問題が大きいです。持ちつ持たれつ、お互いにメリットがあるような関係性の構築は意外と難しいのです。

<学習室に変えてよかったこと>
休み時間、支援学級の児童も通常学級の児童も使える「学習室」ですから、障害がある子だけの教室ではなくなりました。

支援学級児童にとっては、通常学級の児童とふれあえる機会が増えました。わざわざふれあいの時を計画しなくても自然な流れで同じ空間や同じ時間を過ごすことできました。

過ごす時間が多ければ多いほど長ければ長いほど自然に理解共感しあえるものが増えていくと思いました。

児童たちの通常学級での過ごし方や学習室での過ごし方が上手になれば、お互いに学習姿勢のロールモデルになれます。

通常学級の児童たちの「発達障害のある子」という認識も自然なふれあいの中で特別感がなくなっていくのを感じました。みんなそれぞれが、それぞれのことをして過ごすなかでバリアはなくなっていくものだと思いました。

保健室の活用と同様に、体調のすぐれない子、不登校傾向のある子にとっての居場所にもなりました。不登校傾向のある子が、学習室でお母さんと過ごしながら勉強することもありました。
学校の中で、ほっとできる場をつくることができたと思います。


ふりかえって

私は、毎日、にこにこ笑顔で過ごしていましたが、子どもへの配慮と大人への配慮に体はくたくたに疲れていました。家に帰ったらバタンキューでした。でも、先生たちには楽そうに見えていたと思います。

恰好だけでもゆとりを持ちました。先生たちには、気軽に支援や指導のこぼれ話をしに学習室によっていただきたかったのです。

心は疲れていませんでしたよ。
理由は、支援教育に対してもっていた「私のふしぎ、違和感」を少しずつ変化させていけたからです。忙しすぎたけど、楽しかったのです! 
ときどき ふらっと 学習室の丸テーブルの小さなジャムのビンに挿した花を見て心を癒してくださる先生もいました。

実践した小学校の支援教育は、教師間の協力や児童を見守る雰囲気の上に成り立っていたと思いました。

よい距離感で互いを尊重し、協力し合えば「インクルーシブ教育」はできます。

必要なのは大人同士のコミュニケーション力+理解度です。

管理職も通常学級の担任も支援学級の担任も保護者も
「相手に頼り過ぎない、任せすぎない、丸投げしない、持ちつ持たれつ」
現状をよく見て、程よい協力体制を整えあえることが必須だと思います。

通常学級・支援学級の担任同士が、お互いの学級の児童への理解と協力が高ければ高いほど「学習室」のシステムは効果的です。

学校、教師・保護者・児童の思いや願いを理解し、現場を全体的視野でリードできるコーディネーターやリーダーがいたら理想です。


<残念なこと>

学校は、毎年職員の異動があります。少しずつ少しずつ、職員は入れ替わります。それに伴って、学校内の雰囲気も少しずつ変わります。
この学校の学習室システムは、今はないそうです。

県や市という大きなくくりの学校運営のもと、確固たる理念があって、それについて共通理解がずっと図られていたら続けていけたかもしれません。
一つの学校だけでの実践は教師個人の学級経営にたよるところが大きいのです。
ましてや、支援学級は各校に1~2学級あるところがほとんどです。
他の学校の先生の支援学級経営など見る機会は、ほとんどありません。
どんなにいい企画でも、経験していないことやロールモデルがない所での存続は難しいのです。

それと「??ふしぎ・・なぜ?」と、思えなければ・・現状のまま・・
変化へのイメージがわきません。



marukoの独り言

支援教育について、生意気にも記事にしてみました。
これを読まれた方は、どんな感想を持たれるのかなあと感想をお聞きしたい気持ちがあります。どなたかに、ご意見いただけるとうれしいなあ。
賛否両論、どちらでもいいのです。

私は、各学年3学級・支援学級1の学校でした。
支援学級数が多い学校は、また方法が異なることでしょう。

関西の方では、支援学級の児童生徒の名前も通常学級に入っている学校もあると最近知りました。


次回は、10月5日(水)


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