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父が居なくなった日

2022年6月。
目の不調が気になり眼科に行くと、網膜剥離と診断され手術を受ける事になった。
目薬で治せるくらいの軽いものだと思っていたので医師から「このままじゃ失明するから1週間後には手術を受けて」と告げられた時の衝撃は大きかった。

実は異変はその年の1月頃から感じ始めていた。
しかしその時は横になってスマホを眺めている時のみに異変が起こる状態だった為、あまり問題視していなかった。
それが数ヶ月後、日常生活に支障をきたすくらい視界が歪むようになった。それでも私は痛みが全くなかった為に病院に行く事を渋っていた。
病院にお金を使うことが本当に嫌なのだ。費用が嵩むし、健康であれば払わずに済んだお金だと思うと自分に腹が立つからである。
そんな理由で病院に行くことを先延ばしにしていたある日、家族LINEで兄が睡眠外来に通院している旨を連絡してきた。その流れで私も目の不調を報告した。

家族からの後押しもあり近所の眼科に赴くと、網膜剥離と診断され、1週間後には手術を受けるよう指示された。まさかまさかだった。

「大学病院に紹介状を書くから明日行ってきてね。手術にはご両親のどちらかに立ち会ってもらってね。お大事に。」
医師にそう告げられた。

急いで家族LINEで報告し、両親の付き添いを依頼すると父は
「いつまでも困ったときだけ頼るな。放っておいたのは自分だろ。両親は死んだと思え。」
と言い放った。

この文章を読んで、咽び泣いた。我に返ってちょっと面白くなってしまうくらい声を上げて泣いた。
どんな失恋や挫折よりも、父に突き放される事は辛かった。
齢24にもなってどれだけ親に甘えていたのかと、恥ずかしくもなった。
ただ同時に、医師が親の付き添いを請うたからその旨を伝えただけなのに、何という言い様だと、怒りの感情も湧いた。

そんな私の心境を察したのか、兄から
「どうにもなんなきゃわっしを頼っても良いぞ。」
というメッセージが届いた。
また涙が出た。でも一人称どうなってんだよ。

私は兄に、
「ありがとう。でも大丈夫。父ちゃんに頼るなって言われた事は間違ってないと思うし、父ちゃんは自分が居なくなった時の事を考えて私のために厳しい言い方したってのは頭では解るんだけど、手術ってなってナーバスな時にあんな言い方しなくても良いじゃんて、父親としてじゃなくて人として意地悪だなって思っちゃった。しばらく実家にも帰らないようにしようと思う。」
と返事をした。兄は私の事も父の事もよく解っているから、つい愚痴を溢してしまった。

すると兄から
「多分父ちゃんはるいがナーバスになってる事くらい分かった上で言ってると思うぜ。
今まで何回もこういう事にならないように言ってきたのに結局大事になって悲しい気持ちだと思うぜ。
何が言いたいかというと、家族LINEで前から症状があったのにお金が掛かるから放置してて、悪化したから病院行ったら手術になりましたなんて言ったらそりゃ父ちゃんはあぁ言うだろうなって気付けって事よ。
お金の事とか言わなきゃ別にあんな言い方しなかったと思うぜ。
何でも言える事はいい事だと思うけど、言わない方がいい事まで考えてから話す癖を付けた方がよいぞ。」
客観的な視点で、目から鱗だった。でもずっと語尾どうなってんだよ。

思えば私は家族に対して何か発言をする時、それによって相手が不快な気持ちになるかもしれないなどと考えもしないままに発言していた。
何を言っても嫌われる事はないし、関係を絶たれる事もないと思っているからだ。だから家族と居ると居心地が良いし、安心できる。
そんな甘えが今回の父との諍いを生んでしまった。
私の発言で父がどう思うか考えもしていなかった。反省した。

しかし許せない。何がどうあってもあんな言い方をされる謂れはない。私からは謝らない!謝ってたまるか!という姿勢は変わらなかった。

結局手術は一人で受けた。
退院の時は親友が迎えに来てくれた。この頃にはすっかり父が居なくったって生きていけるんだぞという気持ちでいた。

私は家族LINEにすっかり登場しなくなった。それでも父からはサボテンに花が咲いただとかプチトマトの実がなっただとか、お昼ご飯は坦々麺だったとか日常を切り取った写真が送られてきたがフルシカトをきめ込んだ。
どうだ、寂しいだろ。私からのコメントがなくて。と思っていたが寂しがっていたのは私の方だったと思う。

そんな中、父の日がやってきた。
私は物心ついてから初めて父の日を無視した。

街中で「父」という文字を目にするたび胸が締め付けられた。
家族LINEでは姉と兄が父に感謝の言葉を送っている。
父は実家に届いた2人からのプレゼントの写真を嬉々としてアップしている。
どう考えてもそこに私が居ないのは不自然だった。でも誰も言及しない。父と私が気まずいままでいる事に気付いているからだ。

ひと月前から用意していたリトルグリーンメンのUSBハブが包装を纏ったまま部屋に転がっている。父へのプレゼントだ。また切なくなった。

私は父親譲りの意固地なので絶対に自分から謝りたくない。そんな2人が喧嘩をしているのだから簡単に和解できる訳がないのである。

しかし、そんな喧嘩もあっけなく終わりを迎える事となる。
手術代を支払うに当たって保険関係でネットで調べてもどうしても分からないことがあった為、父にLINEで質問をした。ゴチゴチに敬語を使って。距離という距離を置いて。

すると、何も言っていないのに父から
「瑠衣の口座に手術代振り込んだよ🐽」
とメッセージが来た。

既読を付けて数時間が経過したが、何と返事をしたらいいか分からずにいた。
電話をすれば良かったのかもしれないが、私はその時の気持ちを上手く言葉にする自信がなかったから、手紙を認める事にした。

その時父へ宛てた手紙の下書きがメモに残っていた。


父ちゃんへ
物心ついてから父の日に連絡を取らなかったのは初めてかな。
いきなり手術が決まって、精神的に辛かった時、あんな言い方をする父ちゃんを嫌だと思ってしまいました。
私が傷つく事を分かってるのに、わざと意地悪な言葉を選ぶ父ちゃんを嫌だと思ってしまいました。
父ちゃんの言葉の意図は100%ではなくとも、汲み取れているつもりでいます。
いつまでも親に頼っていたら、居なくなってしまった時どうするんだって、私の事を考えてくれてるからこそ言った言葉だという事も、「お金もかかるし」って私が自分の体を蔑ろにした結果の事だから自業自得だという事も分かっています。
父ちゃんが間違っているとは思いません。
自分が正しいとも思っていません。
でも、父ちゃんからのメッセージを読んだ時、失明するかもって聞いた時よりもずっと悲しくて涙が出ました。
でも、それと同時に私は本当に親に甘えて生きているんだなと、改めて心を入れ替えないといけないと感じました。
だから、父ちゃんが言ったように、私の中で父ちゃんは居なくなってしまったと思って過ごしてみました。
でもそうしたら、毎日心がすり減るだけで、何一つ良いことはありませんでした。
考えないようにすればする程、街中で見る「お父さん」って文字に、心が痛くなりました。
きっと私はどうしようもなく、父ちゃんが大好きで、私には父ちゃんが必要なんだと思いました。
悔しかった。本当にあんな言い方する父ちゃんは大嫌いだと思ったけど、こうやって意地張ってるうちに本当に会えなくなったらどうしようって居ても立っても居られなくなりました。
私にとって父ちゃんは、歩けなくなっても喋れなくなっても生きててくれれば良いと思う程、大切な存在です。
父ちゃんには3人子供がいても、私にとって父ちゃんは世界に一人だけです。
意地張ってごめんね。
本当は誰よりありがとうって伝えたかったんだ。
1ヶ月前から用意してたプレゼント、送ります。
父ちゃん、本当に大好きだよ。
父ちゃんと母ちゃんの娘に、お姉ちゃんとお兄ちゃんの妹に生まれてきてよかった。
いつもありがとう。


便箋に清書して封をしようとした時、父から一通のメッセージが届いた。

「瑠衣は【体が資本】の仕事してるんでしょ❔
もっと、自分の体を大切にしてほしいの。
『お金が掛るから』とかの理由で仮に失明しちゃったらこれからの瑠衣の【やりたいこと】続けられなくなるじゃん。
もっと自分の体を大事にして仕事してほしい。
それでなにかあったら資金面だけじゃなくて、なんでも応援するよ。
瑠衣の【ファン】の一人だからね😄」


私は父の気持ちを何も汲み取れていなかった。親心は子には伝わらないようにできているのか、それとも私が馬鹿すぎるのか、おそらく後者だが、もどかしくて切なくて、申し訳なくて、でも嬉しくて、感情がゴチャゴチャだった。
返信するより先に手紙に追記する事にした。


追記
父ちゃんのメッセージを読みました。
汲み取れてると思ってた意図と全然違ってて、恥ずかしくなりました。
辛い時に、突き放されたんだってすごく悲しくなって、意地になってました。
ミニバスの時も、東京に出てきてからも、ずっと私は心配されてないってどこかで思っていて、父ちゃんがそんなふうに思ってくれていたことを知りませんでした。
それなのに、父の日にありがとうも言わなくてごめんなさい。
くだらない意地張らなきゃよかったと後悔しています。
本当に本当に、ごめんなさい。
そして本当にありがとう。
私も体、大切にするから父ちゃんも大切にしてね。

6月中は帰れないけど、7月にまた家族みんなで集まろうね。
楽しみにしています。


手紙を書き終え封をし、リトルグリーンメンと共に速達で実家へ郵送した。

次の日父からお礼と共に謝罪があった。

こうして結局ずっと私は親に甘えるのを辞められないのだろう。

この出来事からもう直ぐ2年が経とうとしているが、己の悪い所も省みて認めた上でも、父のあの言い方は良くなかったと思う。
私は父に甘えているけれど、父も私に甘えている部分がある。私にはどんな言い方をしても嫌われる事はないと。

私は父と、嫌な事は嫌だと、傷付いたら傷付いたとはっきり言える関係性を築いてきて良かった。それはきっとあの父だから出来たことだ。

しかしもう二度と喧嘩したくない。
きっとするだろうけど。

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