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血の繋がった親友

私の人格形成に大いなる影響を与えた男がいる。
それは兄だ。
兄は2歳年上で、今のところ人生で一番長い時間を共にした人だ。

母は私を産んだ時、
「もう一回産んだかと思った。」
と言うくらい、兄と顔がそっくりだったらしい。
今でも兄とは顔が似ているとよく言われる。

それは、表情だったり顔の筋肉の使い方が同じだからより似ていってしまったのではないかと思う。

私は何でも兄の真似をした。
母曰く、口調も、変顔のレパートリーも、全部兄の真似らしい。

兄が中学生になるまで、私と兄は四六時中一緒だった。
私と兄には幼稚園生の頃からの恒例行事があった。兄がトイレで所謂うんちをする時は必ず絵本を持って付いて行き、読み聞かせてもらうというものだ。だから私はイソップ童話やグリム童話を良く覚えている。
この行動に関しては、大人になった今でも原理は良く分かっていない。兄に聞いてもその行事のことは覚えているけど何故していたかは覚えていないと言う。

トイレですらも一緒な私たちは、それだけ気が合うのかと思いきや、喧嘩をしない日はないくらい毎日喧嘩していた。
母はよく、
「お兄ちゃんが学校から帰ってくると「るいは?」って、るいが帰ってくると「お兄ちゃんは?」ってお互い必ず聞いてくるんだよ。何でお互い探してまで一緒にいたいくせに、喧嘩するの?意味がわからない。」
と嘆いていた。
私たちが喧嘩をすると母はいつも止めに来て、
「離れろ!もう近寄るな!」
と引き剥がす。
父が家にいる時に喧嘩をした際は二人とも首根っこを掴まれて裸足のまま家の外に放り出された。それを見兼ねた姉が雑巾を片手に庭側の窓を開け、こっそり入れてくれるのだ。
叱られることが分かっていても、私たちが喧嘩をやめることはなかった。
それでも、どんなに喧嘩をしようと、夜は隣で一緒に眠った。兄が隣にいると安心して眠れるのだ。

兄は、私にとって唯一本気で怒りをぶつけられる相手だった。
だが、口喧嘩でも、取っ組み合いの喧嘩でも、兄に勝てたことは一度もなかった。それが私の勝ち負けに拘る負けず嫌いな性格の所以だと思う。
私が唯一優位に立つ方法が一つだけあった。
嘘泣きだ。
私が喧嘩をふっかけて兄に叩かれて、大して痛くもないのに泣いた振りをすると、親には必ず兄が叱られる。それが分かっていたのだ。
これは私の狡さと被害者面な性格の所以だ。

2歳年上の兄がいると、小学校の4年間と、中学校の1年間は兄と同じ学校に通うことになる。
学校でも兄の影響から逃れられない場面が多々あった。
私が悪さをして先生に叱られる際に、「この前兄貴も廊下を走っていたな。」だとか「この前兄貴も階段の手摺りを滑って叱ったぞ。」と言われる。それについては私は関係ないのに。
クラスメイトの女の子が男子に強い口調でものを言われて泣き出してしまった際、担任の先生が
「るいちゃんみたいにお兄ちゃんがいて普段から強い言葉に慣れてる子は良いけど、○○ちゃんはお姉ちゃんしかいなくて慣れてないんだから、優しい言葉を使わなきゃダメだよ。」
と言った。
良いわけがないだろ。私にもダメだよ。
当時はそうか、私はお兄ちゃんがいるから強いんだ。と少し誇らしげに感じていた。

Sケンという遊びがクラスで流行っていた小学4年生の頃、白熱し過ぎて敵チームの男子が私を持ち上げて頭から地面に落としたことがあった。担任の先生が走ってきて保健室に運ばれた。その時に
「泣かなくて偉かったね。でもるいちゃんは女の子で力では勝てないんだから、取っ組み合いなんかしちゃダメだよ。」
と言われたことを覚えている。
私は兄に投げられて机の角に頭をぶつけて血を流したり、Wiiリモコンでぶっ叩いたお返しに氷を投げつけられたりしていたので、そういう痛みには慣れていた。
私は泣いていないから、その男子に負けたとは思っていなかった。
2歳年上の兄には勝てなくても、同級生の男子には負けたくなかった。
女は男に力で勝てないという事実を認めたくなかった。私が兄に勝てないのは性差じゃなくて年の差が故だと思いたかった。

そういう経験から、力が強い人間になりたくて小学校高学年の私は筋トレに勤しんだ。
その甲斐あってか中学1年生の時の新体力テストでは学年の女子の中で1番になれた。嬉しかったけれど、男子と女子が分けられていることで、同じ土俵で戦うことすらできないということを思い知らされた。

中学を卒業する頃までは、男に負けてたまるかという意識がずっとあったけれど、高校に上がり、少しだけ視野が広がってからは力が強いことだけが全てではないことを知った。

私の家族は長子の姉が家を出るまで、5人全員で夕飯をとっていた。
晩御飯の時は一家団欒で、その日あったことを話す。
全員お喋りなのだが、特に良く喋るのは父、兄、私だった。
父は気分屋だから、悩みや愚痴を、この日は取り合ってくれるのにこの日は軽く遇らってくる、みたいなことが多々ある。
対して兄は、いつもは戯けてばかりいるし、揶揄ってくるけれど、私が本気で悩みを打ち明けた時は真剣に応えてくれる。それには何度も助けられた。

兄とは顔を合わせれば喧嘩ばかりしていたし、意地悪ばかり言われて、私も生意気ばかり言っていた。
だが、すごく可愛がられていたことにも気付いている。
私が先に自分の分のお菓子を全部食べてしまって、兄の分まで欲しがった時は必ず分けてくれた。大人になってからは大したことではないと感じるが、子供の頃に、自分が美味しいと感じているものを他人に分けるという行為は簡単にできることじゃないと思うのだ。少なくとも私にはできなかった。
そして兄は面白いと感じたもの、楽しいと感じたものはいつも共有してくれた。もちろん逆もだ。そうすることで感情が何倍にもなることをお互いが知っていたからだ。

二十歳を越えてから、兄とは全く喧嘩をしなくなった。
もう仕方も忘れちゃったな。


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