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父の涙

私の10歳の誕生日に、我が家にうさぎがやってきた。そのうさぎは灰色でもぐらみたいだからと父に「もぐたん」と名付けられた。

長年、犬を飼いたいと里親募集のページを印刷して提出し続ける私と頑なに却下し続ける母とのやりとりを見ていた父が、折衷案として連れて来てくれたのがもぐたんだった。

もぐたんはホーランドロップのメス。ホーランドロップの性格をネットで調べると、「人懐っこく愛嬌がある。活発で好奇心旺盛で寂しがりや。飼い主の後をついてまわる子も珍しくない。うさぎ界の甘えんぼ代表。」などと出てくるが、もぐたんは真逆だった。すぐに威嚇をするし、抱っこは大嫌いだし、いつもなんとなくじとっとした目をしていたような気がする。
もぐたんは私を敵だと思っていた。私の足音が聞こえると姿勢を低くして戦闘態勢に入る。当時の私の可愛がり方はもぐたんが構って欲しいかどうかは全く考えておらず、独り善がりだったから当たり前だ。ファインディング・ニモに出てくるダーラのようだった。

もぐたんの世話は基本的に父がやっていた。もぐたんのケージは私と姉の部屋にあったので毎朝父がご飯をやる音を目を閉じて聞いていた。
もぐたんが一番心を許していた相手は父だった。

父はインターネットで見つけたうさぎの飼育についてのページを片っ端から印刷してクリップで纏めて読んでいた。その分厚さには驚いた。3cmくらいはあった気がする。父はもぐたんが健やかに育つようにできる限りのことをしようとしていた。
もぐたんがうちに来てから数週間は市販のミネラルウォーターを与えていた。私はミネラルウォーターを飲むのが勿体無くて水道水を飲んでいるのになぁと思った記憶がある。しかしその後、うさぎにミネラルウォーターを与えるとカルシウムを摂り過ぎてしまうから水道水を与える方がいいと知って、かなり落ち込んでいた。

もぐたんは家に来て半年ほどで避妊手術を受けた。エリザベスカラーをつけて帰ってきたもぐたんはまだ麻酔が完全には切れていなかったのかいつもより大人しくてしおらしかった。その時も父は甲斐甲斐しく世話をしていた。父はもぐたんのお腹に傷を見つけたときも、一目散に病院へ向かった。
夏はもぐたんが暑くないかな、冬は寒くないかなといつももぐたんのことを気にしていた。

一方で私はもぐたんと何をしたら楽しいだろうといつも自分を中心に考えていた。
私はハーネスを用意してもぐたんと一緒に散歩によく行った。今思い返すともぐたんを散歩させていたというよりは私の散歩にもぐたんが付き合ってくれていた。
もぐたんはいつも素っ気なくて抱っこが大嫌いなのに向こうから散歩中のダックスフントが近づいて来たときばかりは私に抱っこをせがんで避難しようとしていたのをよく覚えている。もぐたんのことはずっと可愛いとは思っていたが、愛おしいと感じたのはその時が初めてだった。愛おしいという感情を私に教えてくれたのはもぐたんだった。

そんなもぐたんは私が16になる年に、亡くなった。6歳だった。
夏辺りから日に日に弱っていき、横になっていることが増えた。
覚悟はしていたが、やはり悲しかった。
もぐたんの亡き骸を腕に涙ぐむ父を見て、どれだけ愛していたのか改めて思い知った。見てはいけないものを見た気持ちになった。
父が泣いているのを見たのは後にも先にもその時だけだ。

私は泣かなかった。とても悲しかったけれど、涙は出なかった。
恐らく父ほどもぐたんのことを愛せていなかったのだと思う。
勿論、もぐたんのことは大好き。可愛い、愛おしいと感じていた。けれど、もぐたんに愛されてる実感は全くなかった。
その時、私は私自身の自分本位で未熟な人間性を自覚した。
その人間性は、それから10年経った今でもあまり変わっていない。
慈悲深い父の背中を見て育ったはずなのに、おかしいなと首を傾げている。

ケージの中で眠るもぐたん

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