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父と痛み

私の父は異様に痛みに強い。
痛みの感じ方は人それぞれなので、強い弱いの比較が難しいが、それにしても父は異様に強い。

父は若い頃、群発頭痛を発症した。この頭痛は別名「自殺頭痛」と呼ばれており、その痛みのあまり自ら命を絶ってしまう患者もいるそうだ。
私が小学校高学年になる頃まで毎年、決まった季節に父はこの頭痛に襲われていた。その季節が来ると父は夕飯の時間にはベッドに入って時が過ぎるのを待っていた。ある時父の様子を見に行くと片目から大粒の涙が流れていて、父が泣くなんて相当痛いんだな。可哀想に。と思った記憶がある。しかし片目から涙が出るのは群発頭痛の典型的な症状らしい。そんな状況でも父の口から「痛い」という単語を聞いたことはなかった。
現在、父は年を取り、血管が硬くなったためか群発頭痛が起きることは無くなった。当時を振り返ると「あれは凄まじい痛みだった。」と笑って言う。

小学生の頃、家族で海に行った。兄と私は父に子供用のサーフボードを買って貰った。初めて目にするサーフボードの使い方が分からずにいると、父がお手本を見せてくれた。最初こそ上手に波に乗っていたのだが、何回目かで父が波に飲まれ、そこから起き上がったきり微動だにしなくなった。はじめは笑っていた私たちだったが、あまりに長いこと父が動かないので心配になってきた。
「父ちゃんどうしたの?」
私たちが聞いても、何も答えない。無言で遠くを見つめている父。
「俺は浜に戻る。」
それだけ言い残して二度と海に戻ってくることはなかった。
数日後、父は接骨院に行った。肋骨を骨折していた。波に飲まれた拍子に砂に斜めに刺さったサーフボードが父の肋に突き刺さったらしい。まさかそんな大事だとは思わなかった。私たちの前で父が「痛い」と言うことはなかったから。

父には銀歯がある。幼い頃虫歯になって溶けてしまったらしい。虫歯が痛いと訴える父に、祖母は「赤チン塗っときゃ治る。」と言い放ち、しまいには痛いと騒ぐ父をうるさいと土手に放り投げたことがあるらしい。
そうやって育てられた父は痛いと発したところで痛い事実は変わらないことを知っているから、痛いと言わなくなったのだろう。幼い頃の父を抱きしめてやりたい気持ちだ。
しかし、父にも祖母の教育論がしっかり引き継がれており、私が幼い頃はお腹が痛いというと摩ってくれる優しさをみせてくれたのだが中学生くらいになると「痛いと言っても治らないんだから薬飲むか寝るかしろ。」と言うようになった。尤もなのだけれども、「大丈夫?」の一言で強くなれる気がすることもあるじゃないか。バカ親父!と思った日もある。

痛みに関しては誰とも分かち合うことができないから、誰かが痛いと言ったら無条件に心配できる自分でありたいと思う。だが、現時点では(私の主観だが)あまりに大袈裟に痛がっている人を見掛けると父と同じように、痛いと言ったところで治らないのにな、と思ってしまうから思いやりの心を持つように留意せねばならない。


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