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父はうざいけど世界で一番愛おしい人

私は父親のことを頗るうざいと思っている。
こんな理不尽で我儘な存在があるだろうかと。

しかし、私は世界で一番父親を愛している。

2021年、齢23の夏。
当時の交際相手の浮気が原因で同棲解消となり、住所不定になり、行く宛もなく実家に帰った。


「当たって砕け散ってきたら骨拾ってやるよ。中途半端なところで実家帰ってきてんじゃねえよ。」
「痩せて泣いてる場合じゃないんだよ。太って笑ってやれよ。」

この言葉は、彼氏に浮気されたことを報告して、その反応を映した動画をYouTubeに上げようとカメラを回した際に父親の口から発せられたものだ。テレビに出る事を夢見て芸人になると横須賀の実家を飛び出した4年後、芸人としてなんの功績も残さぬままそんな報告をされたら同情より先に叱咤するのも無理はない。

あまり言いたくないが当初動画を撮ろうと決めた時は、両親に優しく慰められ、涙ながらに再出発を誓う私…というストーリーを頭の中で描いていた。そんな妄想とは180度違って、父にボロカスに叱られ、嗚咽混じりに汚く泣いてしまった。
その姿があまりに情けないので、動画を編集をしながらもSNSに上げるかどうか悩んだ。

それでも動画を上げる事を決めたのは、4時間も素材があるし一応編集するか、と始めた作業の際に何度も父の言葉を聞いて、自分以外の誰かにも届いて欲しいと思ったからだ。必ず誰かを勇気付ける動画になると思ったからだ。

2024年1月現在、その動画のSNS総再生数が累計2,000万回を超えた。

父を称賛するコメントが大半を占めていたが、中には
「浮気されて実家帰って父親にこんな事言われたら絶望だわ。」
「この子、よく父親の話に頷けるね。私だったら反論すると思う。」
等と、否定的なコメントもあった。

確かに私の父は理不尽である。

父はミニバスケットボールチームの監督をしている。私も小学校入学から卒業までの6年間、父が監督を務めるチームに所属していた。

体育館で父を「お父さん」と呼ぶと無視をされた。体育館での父は「お父さん」ではなく「監督」なのだ。
脳が紛糾して食卓で「監督」と呼んでしまった事もあった。

私は激しい運動をすると喘息の発作が起きる、運動誘発性喘息を持っている。
試合中に発作が起こり、苦しくて涙目になっていると、父はベンチから
「芝居こいてんじゃねえ!起きろ!!走れ!!!泣いてたら前見えねぇだろ!!!!泣くなら邪魔だからコートから出ろ!!!!!」
と怒鳴る。

私が小学生だった頃はなかなかに平成であった。
昭和ではなかったはずだ。

芝居ではない事は父も分かっている。
何故なら医師に喘息の診断を下されたその瞬間も父は隣に居たからである。

チーム内に同じ喘息を持つ子がいた。
その子が試合中発作を起こした時、その子の母親は応援席からコート目掛けて走ってきて、彼女を抱きしめた。

羨ましかった。
私も父に抱きしめて欲しかった。

しかし、父にはわかっていたのだ。
喘息くらいで私が死にやしない事。
浮気されたくらいで私が死にやしない事。
背中をさする事だけが優しさではないという事。

そんな父は、私が幼い頃も大人になった今も、酔うと必ずこう言う。

「るいのことが大好きだよ。」

言われなくてもわかっている。
父は私を愛している。
そんな父を私も愛している。

私の父の、父親としての在り方は側から見たら「毒」に見える事もあるのだろう。
だが、私は父の事を毒だと思った事はない。親が毒かどうかは子が決めるものではないだろうか。
娘である私にとって父は良薬だ。私が悲しい時、苦しい時、辛い時に本当の意味で楽にしてくれるのは、救ってくれるのは他の誰でもなく父しかいないのだ。
良薬は口に苦いものだ。
受け入れられない事もある。口答えしてしまう事もある。
父は説教垂れてくるけれど、私が納得できない時には反論させてくれる。
だからこそ父の説教には耳を傾ける事が出来るのだ。
そういった関係性を築くことが出来ているのも父の人格が所以だろう。

父の説教に耳を傾けられる最大の理由は信頼にある。
父が私を貶めようとする事は決して無い。何故なら父にとって私は自分以上に大切で尊くて、かけがえの無い存在だからである。
私が生まれてから今日までの父の態度や行動が、私にそのように思わせる。
愛は、与える側が説明できるようなものではなくて、与えられる側が無条件に受け取ることができた時、はじめてそこに存在するものだと私は思う。
そういった意味で父親は私にたくさんの愛をくれた。

苛立つ事も喧嘩になる事も多々あるが、それでも父親の事を「大好き」だと言えるのは父の絶対的な愛によるものだ。

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