【おじいさんと謎の液体】

アルバイト先でのレジ打ち業務の話。

レジ打ちの仕事というのは、常に喋ってないといけないし、次々来るお客さんを止めることができない(受け入れざるを得ない)し、レジのシステムはどんどん新しい機能などアップデートされるため頭を使わないといけないので、なかなか大変な仕事である。

そんなレジ打ち業務で様々なお客さんと触れ合う中で体験したエピソードである。

空が暗くなり始め、客足も少しずつ減ってきた夕方のことであった。
ひとりのおじいさんがゆっくりとレジにいらっしゃった。失礼ながら、その動きやお顔立ちから、恐らく80代と推測できた。
「ポイントカードお持ちですか?」
いつものセリフを投げかける。
「ぇえ?」
おじいさんは耳が遠くて聞き取れなかったようで、分厚い眼鏡の奥の瞳をパチパチとさせた。

このように聞き返されることは想定の範囲内であり、お年寄りのお客様には多い現象である。
わたしは深く息を吸い込んで、先ほどよりも少し大きめの声で、先ほどよりもややゆっくりと同じセリフを繰り返した。
「ポイントカードはお持ちですか?」
今度はおじいさんはそのセリフを聞き取れたようで、
「持っています」
と言った。


そして、「ま」の発音のときにおじいさんの小さく開かれた唇から多量の唾液が溢れ出てシャボン玉のように膨らみ、すぐにパチンとはじけたのを、わたしは見逃さなかった。


おじいさんはバッグの中からお財布を取り出して、ポイントカードを探していた。その間にわたしは商品をレジに通し終え、袋詰めも終えていた。
下を向いてお財布の中身を探っていたおじいさんが、中から見つけ出したポイントカードを渡すためにわたしのほうを見上げたとき、わたしの視線は瞬時に自然と一点に向けらた。

そう、くちびるである。

おじいさんの唇は唾液で濡れてぴかぴかと光っていて、中央部分においては今にも滴りそうなほどに溜まっていた。

今までに鼻水を垂らしているお客さんを見たことはあるが、唾液を垂らしかけているお客さんは初めて見たので、とても動揺した。ここでティッシュを差し出すべきかどうなのか、頭の中は混沌していた。色色なことを考えつつも、お会計を終らせて、いつものようにお釣りをお渡しした。再び視線は無意識におじいさんの唇に集中した。

そして、わたしは恐るべき事実に気づいてしまったのである。

【中央部分に、唾液が、溜まっていない!!!!】

おじいさんの唇は全体的に唾液で湿っていたが、中央部分の唾液が跡形も無く消えていた。

「ありがとうございました」
いつも通りにレジの一通りの流れを終えると、おじいさんはお財布やバッグや購入した商品を整理して、何事もなく帰って行った。

レジの台には、蛍光灯に照らされた一滴の透明な謎の液体が、表面張力を保ったまま静かに残っていたのであった。

ありがとうございます。お金は好きなタイプです。