がんばらない、とは?

復職してから数日。
思うのは、やっぱり接客たのしい。
こんな私のことでも、覚えててくれたお客様がいて「久しぶりだねぇ〜」って声かけてもらったり、はじめましてのお客様にも「ええ接客やね」って言われたり。

今日は「プロフェッショナルみたい」って言われた。いやいや、私まだこのお店で働いて半年くらいですよ…。
でも正直、向いてるんだと思うし、これからもこのお仕事で続けていきたいと思っている。


今の問題は「『がんばらない』とは?」というクエスチョンに、自分なりのアンサーが出せないこと。

がんばらない、ってなに?

仕事に行くと、がんばってしまう。

暇な時間ができたらなにか手を動かしてお店の力になりたいと思うし、お客様の様子もめっっっちゃ見る。すぐ動く。

でも今、帰りの電車の中で
「すーーーーーーー🙂🙂🙂🙃🙂🙂🙂🙃」
って感じになってる自分に気づいて、それをnoteにしたためている。
(この擬音語と顔文字で伝わるか微妙なところですが、マイナスにかなり近い「無」というか、なんというか…)

自分のキャパを超えてしまっていることに、仕事中気づくことができない。
仕事が終わって電車に乗って、初めて気づく。
がんばりすぎてしまったということに。

仕事中も、うまく回ってる時は大丈夫だけど
なにか一個ミスがあると何もかもできなくなってパニックになってしまって、今までやっていた作業の全てができなくなる。

私は「余裕」が持てていない。
というか、持ち方が分からない。

「がんばらない」が、分からない。

でも「生きるのをがんばらない」は、極論つき詰めちゃうとだめなんでしょ?
そこはがんばらんといかんのでしょ?
生きなきゃ、いけないのでしょう?

どうしたら「がんばらないで生きる」ことができるの?
強い矛と強い盾のたとえみたいじゃない?
突き合わせられないんだけど、どうしたらいいの?

でも仕事のシフトを減らすことが「がんばらない」の最適解であってほしくはなくて、だからこそ職場の人には言わないと決めているし、言えない。
シフトは削ってほしくない。
必要とされたい。社会に。誰かに。

がんばらない方法は分からないくせに
がむしゃらになったり、負の感情を隠したり、大丈夫じゃないのに大丈夫ですって言っちゃったりする。

そして、寝る前に自分反省会がはじまるんだ。
今日も。きっと。

2023.12.12 帰りの電車にて

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