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共感するということ

「置かれた場所で咲きなさい」

という言葉が苦手だ。

置かれた場所がしんどかったとき、それは厳しく冷たい言葉にすり替わってしまう感じがするから。
土を換えたり、水のやり方や肥料の与え方を工夫したり、陽の当たる場所が本当に適切なのかって考えたり
相手に寄り添って、相手に合う手段を選択すれば、どんな種でも花が咲くのでは?

そんな風に思ったりする。


職場で、自分と同じ境遇に置かれている人が少なくて、
理解はしようとしてくれているけれど
「共感」はしてくれていないな、と感じる。

うつ病だと伝えた時
心身のバランスを崩して仕事ができなくなってしまった時
布団から起き上がれなくなってしまった時
休むという電話をかけることすらできなかった時


…いや、今の職だけじゃなくて、振り返ったら、ずっとそうだったかもしれない。

家が自分を守る最大の場所だと1ミリも思えなかった、実家での日々。

お金を使って遊ぶことしか知らない彼氏に、君はつまらないと言われてフラれた学生時代。

休職する旨を連絡した時「とりあえずテスト問題だけつくってもらっていいですか?」と言われた教員の頃。

誰かの苦しみや痛みに寄り添って共感することって、難しいのかなぁ。

そんな風にぐるぐる考えてしまう、自分の頭と心の避難所としてnoteを使い始めたら

休職している人やうつ病と向き合ってる人、親との関係に悩んでる人、
いろーーんな人がいるし、自分に近い境遇の人も少なくないのだと知った。

「置かれた場所」で咲く必要はない。

置かれた場所はスタートライン。
渡り鳥のように移動したっていいじゃない。
失敗して枯れちゃったって、ドライフラワーにしたらおしゃれでしょ?

noteで出会った皆さん
寄り添ってくれて、共感してくれて、そっとボタンを押してくれて、ありがとう。

まとまりのない文章になってしまいました。
今日はここまで。

2023.12.2

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