デミロマだと自覚したら生きるのが少し楽になった。

19年間生きてきて、自分はデミロマンティックなんだと最近自覚した。

自覚してからというものの、今まで悩んでいたことやモヤモヤしていたことが随分と軽くなり、気持ちも楽になった。
まだ家族にも身近な友人にも誰にも言えていないけど、自覚したことでこんなにも自分を認められるようになったことが嬉しくて、その感情はもちろん、過去に悩んでいたことを書き留めておきたくてnoteを始めた。今日は肩の力を抜いて、思うままにつらつらと綴ってみたいと思う。


私は今まで誰ともお付き合いをした経験がない。

小中学生の頃は周りの影響を受けて恋愛しようと試み、好きな人をむりやり"作っていた"時期もあったけど、振り返ればあれは本当に恋だったのだろうかと疑問に思う。
高校生になったら漠然と彼氏ができるだろうと思っていた。だけどできなかった。恋人になりたいって思う人がいなかったからという単純な理由。
大学生になった今も、恋愛と友達の違いがわからないままだ。

中高時代の仲の良い同性の友人と久々に会うと、皆口を揃えて「彼氏が欲しい。大学生にもなって彼氏ができないのやばい。」と嘆く。
「そんなことないと思うけどなぁ……てかそんな風に思わせてしまう完全恋愛思考の社会ってなんかやばくない?」と私は心の中でそっと呟く。


大学生になってからますます思う。恋愛至上主義の世界で生きるのがしんどいなって。


私には男性アイドルの推しがいる。彼は人として、アイドルとして心から尊敬している。彼のダンス、歌、ものの考え方に何度救われてきたか。
そんな彼に夢中になっている娘を見て、かつて親が「現実も見なさい。大学に誰かいい人いないの?」と聞いてきたことがあった。
その時は大好きな推しを否定されたような気分になったし、何より推しが異性だからといって恋愛的に見ていると安易に決めつけられたことが悔しくて、部屋にこもって静かに泣いた。
推しに向ける愛は恋愛的な要素を含む愛ではないのに。愛って恋愛だけに限らないのに。
ていうか、恋愛って本当にしなきゃいけないもんなの?その考え古くない?



大学生になると俗に言う飲みの場やそうでない場面でも、仲を縮めるといった目的で恋愛に関する話題が出される機会がよくある。
あたかも「みんながみんな、当たり前に恋愛するでしょ?」というかのようなスタンスで恋愛話が始まると私はとても苦しくなる。
誰かが誰かに「彼氏/彼女いるの?」「やっぱり彼氏/彼女ほしい?」と楽しそうに聞かれているのを見るのが苦痛だ。
自分がそう聞かれる度に、辛くなるからだ。
正直に答えたら場がしらけることも分かっている。
だけど自分に嘘はつきたくない気持ちもあり、何となく笑って誤魔化してしまうことが大抵だ。
もしかしたら今、質問を投げかけられている目の前の人は、笑顔の奥で私のように悩み苦しんでいるかもしれない。そう思って私は一度、「でも〇〇は恋人を欲しいと思ってないかもしれないよ?」なんてやんわりフォローを入れてみたこともある。杞憂だったかもしれないが。

話は変わるが、私は他者から恋愛的な好意を向けられるのが今も昔も苦手だ。初めてそのように感じたのは小学生の時だった。なぜ不快に感じたのか、今でも上手く言葉にはできないが、そんな短期間で私の何を好きになったのかがわからず、とにかく苦手だった。
だから自分は追いかけたいタイプなんだとその時思った。
しかし、あれから今までの期間、心から恋愛的に好きだと感じる人に出会うことはなく、自分が本当に追いかけたいタイプなのか、はたまた恋愛をする人間なのかもよくわからないのが本音である。


私は高校生の時に初めてanoneでセクシュアリティ診断を行った。デミロマンティックと診断され、もちろんその時初めてその言葉を知った。でも当時はそこまで確信が持てず、「たしかにそんな傾向もあるかもしれない」くらいに思っていた。
その当時からデミロマンティックであると自分の中で確信が持てるまでの期間、心のどこかで今まで恋人がいたことないことを恥だと感じていた。だから、「彼氏いたことある?」という質問をされた時には上手く誤魔化し、まるでいたかのように振る舞ったことも正直何度かある。念のため繰り返すが、その当時はすでにデミロマンティックという言葉を知っていたし、自分にその傾向があると感じていたにもかかわらず、だ。信頼のおける親しい関係性にならないと恋愛感情が持てないこと、恋人というハードルをすぐにはとべない自分をどこか引け目に感じていた。
恋人がいた経験のある友人と自分を比べて、自分には何か人間的に欠けている部分があるのではないか、はたまた自分には魅力がないのではないかと考えて自己肯定感が下がる時もあった。



再び話は変わるが、私はあまり恋愛話が得意ではない。多分一番の理由は、恋愛経験(特にお付き合いの)がないゆえに話についていけないからである。仲の良い友人同士でテーマパークに行き、待ち時間中に友人の友人カップル(私は知り合いではない)の噂話になった時はその場から離れたくても離れられず本当に苦しかった。自分のことではない、他人の恋愛に関して盛り上がる要素がよくわからなかった。
また、親しい友人の恋愛話や惚気話もあまり得意ではない。どこか、寂しい気持ちになってしまうのだ。ある程度のことは知っていると思っていた友人が、恋人相手に別の顔を見せているのだと思うと上手く言葉に言い表せない感情になる。ましてSNSで互いの身体に触れ合っている画像を目にした時は、一瞬息が止まって脳裏からしばらく離れなかった。



私には絶対に決めていることがある。それは、他人のことについて自らとやかく干渉しないということだ。恋愛に関しては特に、相手が自分に話したいと思ったらそのタイミングできっと話してくれるだろうから、わざわざ聞かないと決めている。まぁ、恋愛話が苦手という理由もあるのだが。



恋愛をすること、恋人がいること、結婚すること、これらが人生の幸せのすべてではない。


これは間違いなくそうであると思う。


私は日々、この言葉に支えられている。
恋愛未経験であることを惨めに感じていた時、この言葉が自分をぎゅっとあたたかく抱きしめてくれていた。
恋愛未経験であることにもう何も恥ずかしさを感じていない今も、この言葉は私のお守りだ。


誰にも縛られず、行きたいところに行き、食べたいものを食べ、好きなように時間を過ごせる瞬間が私にとっては最高に幸せだ。


私を幸せにするのは誰でもない、たった一人の私だ。

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