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先日、
ふと思い出したことが、
なにかと色んなものにリンクする。
そういえば、
その話を誰かにしたことがなかった。
でもこんなに今思い出すということは、
表の言葉にしたいのかもしれない。
もし良ければ読んでやってください。
明るい話ではないです。


キッカケは、
運転中に流していた曲。
角野隼斗の「追憶」を流していました。
初めて聴いたわけではなく、
お気入りでプレイリストに入れている曲。
ピアノが弾けるわけでもないのに、
一緒に盤上に指を走らせるような動きを真似てみる。
でもこの時は、
15年前に亡くなった父のことを思い出していた。
なぜか急に込み上げてくるものがあった。
おどろいた。


わたしが20歳くらいで
父は還暦を迎えた頃。
父は特発性肺線維症を患った。
肺が次第に硬くなり、
呼吸が十分にできなくなる。
治療法はなく、
5年病とも呼ばれている。
酸素ボンベを携行し呼吸の補助をする。
63まで会社に行っていた。
しんどいながらも、
まだ自分で動けていた。
わたしが23の頃、
結婚して久しぶりに帰省していた時、
会社から帰宅した父を玄関で出迎えた。
鍵を開け、
扉を開けたその姿は、
一瞬父と識別できなかった。
すっかり痩せていて別人の様相だったから。

ちなみに、
西田敏行さんに顔も体格も似ていると思っていて、
勝手に親近感を覚えている。

定年退職してから、
父の病状は一気に加速した気がする。
仕事人間だったからかもしれない。
出歩くことが辛いので、
ベッドの上に座ってひたすら呼吸をしている日々。
歩くのはトイレに行くとき。
50坪程度の敷地に建った家の寝室〜トイレ間。
元気な人間なら10秒以内に余裕で到達できる。
そこを何分かけて進んでいたか。



1月19日。
お昼時、
普段掛けてこない姉からの電話。
父が危篤で今夜が山だと。
急ぎ新幹線に飛び乗り、
父のいる病院に着いたのは夕方頃。
病室で酸素を付けベッドに横になっている。
モルヒネを打っているので、
意識は朦朧としていた。
聞こえてくるのは、
機械に補助された呼吸音と、
心電図モニターの音。
その音だけが父が生きている証。
医者の説明では、
モルヒネで痛みを和らげてその時が来るだけだと。
8時頃、
姉が到着した。
家族全員揃ったのは何年ぶりだったか。
それから直ぐに父が苦しみだした。
父が喋った。

「死にたい」

モルヒネの量を増やしてもらった。
徐々に波形の間隔が長くなっていくのをただ見ていた。
ドラマで見たことがある。
そして波形がなくなった。
診断されて5年だった。


なぜ突然思い出したのか不明だ。
でも父の最期の言葉が妙に残る。


今日、
映画を観に行った。
本編が始まる前の映画の宣伝。
長澤まさみと松山ケンイチ主演映画「ロストケア」が流れていた。
宣伝内容でのみ観た感じ、
病気や老齢による理由から補助された死に関する内容なのだろうと想像した。
違ったら申し訳ないけれど。
これを観た時も、
やはり父を思い浮かべた。
父の言葉を真に受けて、
わたしは(家族は)父の死に加担したのではないだろうか。
正解がわからない。


ただ、
ただ思い出したのは、
父の口から出た言葉が悲しかった、
それだけだ。


最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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