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「時候の挨拶のような定型文な気持ちはいらない」

猛暑の候とか
蒸し暑い日が続きますがとか
季節を枕に挨拶するの
ホントの気持ち?

気持ちをほぐすためなのに
固く感じでしまうのは
何故?
ホントに思ってる?

当てはまらないなら
やめてしまえばいいのに
それでもするのは
みんながしてるから?

同じは心地よいようで
やっぱりズレる
みんなの同じとは
違う思い

瀕死の蝉

私を好きなコがいた
でも彼の仲間は私をイジメた
だから彼も同じように
私をイジメた

普段は無口そうな彼も
イジメるときは皆と同じに
笑い
饒舌に

しかしイジメの定型文は
彼を苦しめたのか
二人きりになる瞬間は
言葉はなくなり

無言の瞳は
哀しげで
辛そうで
私を背けた

思春期だから
正直になんてなれないけれど
みんなの同じは
余計に彼を苦しめた

そんな思いを知ったから
彼だけは許した
でも不憫だよね
みんなと一緒も

定型文と本音は混ざりきらず
二つはとぐろを巻いて
彼を縛った
彼も私も苦しかった

青い夏は
とても息苦しいですが
成長したら本音で
熱く語らいたいものですね

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