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私という存在の年月の影

幼稚園生の頃、バスの中で気持ち悪くなって嘔吐した。その後先生に「なんですぐ言わなかったの?」と言われた。何かを伝えたかったけれど、声を発せなかった。同じく幼稚園生の頃、好きな男の子とその周りの子が手遊びをしていて、楽しそうだったからスっと無言で混じってみたら、その好きな子に「なんで入ってくるの?」と言われた。大泣きして、それでも理由なんて言えないから、「お母さんに会いたい」と幼いなりの嘘をついて先生を困らせた。小学3年生の頃、転校した。自分の声を聞かれるのが怖くて、教室で人と話すことができなかった。”うん”か”いいえ”を首で表すか、それ以外でかわせそうな時は聞こえないふりをした。その代わりに、笑顔でいるとか目を合わせるとか相槌を打つとか、声を発しないでできるコミュニケーションに全てを託した。小学校高学年以降は、だんだんとマシになってきて、日常生活に困らないまでにはなった。高校生の頃、可愛い子は自分から話しかけなくても可愛い子たちが寄ってくると知って、容姿に対するコンプレックスに苦しめられた。その時好きだった人に「肩幅すごいけど水泳してた?笑」「脚の筋肉まじですごいよね笑」と言われて絶望した。(今となってはその男があまりにも無神経)コロナ期間に五彩緋夏ちゃん(その頃はひなちゃん5しゃいちゃんだった)の動画に出会い、泣きながら自分の容姿に対するコンプレックスについて話してくれたひなちゃんの動画を見て、私も泣いた。整形という手段が身近になった瞬間だった。高校二年生の冬、埋没をした。鏡を見る度に二重の癖付けをしては一生癖が付く気配がなくて毎日泣いていたあの日々がもうこないと知り、今度は嬉しくて泣いた。DT中は周りの目が辛かったけれど、それを乗り越えると私の人生に光が射したようだった。高校三年生の頃、2年連続同じクラスで、私のことをとても好いてくれる女の子がいた。上で記したような、誰が見ても可愛く男女問わず好かれ、そのおかげか私の何倍も心が綺麗な子だった。私は”男性”というカテゴリー化されたもの(友達になってしまえばそれはもう私が認識した一人の人間になるのでそのカテゴリーからは外れるのだけれど)がとても苦手で、嫌悪感があった。男性はみんな可愛い子が好きで、可愛い子しか見ていないという固定観念があったし、男兄弟もいないので生理的にも受け入れ難いものだった。(それでも小さい頃からとても恋愛体質だった)その子は私が抱えるような偏見も何も持っていないようだった。私はその子のことが好きなのに、自分の今までのコンプレックスの積み重なりで僻んでしまった。話しかけてくれる度に自分のことが嫌いになりそうだった。そんな自分が嫌で、こんな私を好いてくれるその子に申し訳なくて、でも私の心には薄黒い感情が渦巻いていて、この歳にしてお母さんの前で泣いた。感情と感情が一致しなくて苦しかった。(今はその子とマイナスの感情を持つことなく付き合うことができるようになりました)高校三年生の頃、初めての彼氏ができた。その後続けて2人、彼氏ができた。目が二重になるだけでこんなにも上手くいくようになるのかと驚いた。高校を卒業する頃、HSPという言葉を知った。私はこれなんじゃないか、そう思った。親友に話したら、私の説明が下手で「みんな悩むことくらいあるでしょ」と言われてしまい、少し心を閉ざした。HSPは学術的に(?)ちゃんと認められているものではないみたいだが、そうだとしても、名前が付けられることがその頃の私の救いだった。

大学2年生になった今でも、大人数の前で話すのは苦手なままで、笑顔で乗り切っていることが多い私だけれど、それでも昔と比べれば声を発せるし、私なりに成長できたのかなと思ってる。自分の顔も体型も、今は好きだし鏡を見て可愛いと思ってあげられるまでになった。その事が凄く嬉しい。大学生になると、高校生まであったカーストの区切りみたいなものが無くなって、私は私として、一個人として認識してもらえるようになったと感じていて、とても生きやすい。自分が所属するコミュニティのみんなが自分を持っていて、それを開示してくれるから、私もみんなに自分を開示できるようになり、居場所ができたと感じることができている。今の私は、環境に恵まれすぎている。

それなのに、どうしてか、寂しい。
私は私自身を満たしてあげられる方法を知らない。
ずっと恋をしてきた人生だったし、ここ2年間はずっと恋人がいたから、自分自身で幸せを完結させる方法を知らない。それに、小さい頃から人の輪が苦手だったし、人と関わる中で感じる幸せを素直に受け取れた経験が乏しい。他人はみんな敵同然だった。

私の最後の恋人(ずっとnoteに書いているその人)は、みんなから愛されている人だ。彼がいればその場は明るくなるし、みんな彼をいじり、彼もそれを喜び、みんな彼を愛しているだろう。そんな彼に好きになって貰えたこと、すごく嬉しかったのだけれど、私は必要とされなかった。会わなくても、電話をしなくても大丈夫だと言われた。彼は恋愛なんてしなくても、たった一人の異性の存在を作らなくても、みんなから愛され、自分自身で人生を楽しみ、生きていけてしまうのだ。

その事に気付いてから、私のコンプレックスはまた顔を出し始めた。みんなから愛されている人に必要とされなかった私が惨めに思えた。そもそも恋人は生活の+‪αに過ぎないのだけれど、それを当たり前にできてしまう彼は愛されているし満たされている、その事が羨ましく、同時に私を酷く苦しめている。私は一度好きになってもらう事ができても、相手を魅了し続けられるものを持ち合わせていないから、好きでいてもらえないのか、愛されないのか。

もはや彼のことが今も好きなのかは分からない。彼が一線を超えてこなければ、私はそんな彼と自分を違う人間として切り離していられたのに、一度近い存在になってしまったからこそ、私に足りないものが顕著になってしまった、自覚してしまった。

今はただ、その事がとても苦しい。私がもっと自分からお喋りできるような幼少期を過ごしていれば、もっと満たされていた?みんなから愛されて、真っ直ぐな心で育ってこれていた?偏見ばかりの人生から、自分を解放してあげられていた?

彼を思い出すと、こんなことを考えてしまいます。

ごめんね、八つ当たりだね。
彼に対して、こんな薄黒い感情なんて抱きたくなかったのにな。

20年間抱いてきたコンプレックスを乗り越えられる日はくるのでしょうか。私は自分の過去を抱えながら、偶に苦しみ、それでも光を求めて歩いていくしかないのでしょうか。年月の積み重なりに、私たちは抗えない。こんなに積み重なってしまった私という存在の連続は、途方もなく大きな影として今の私に覆い被さってくる。

悩みのない人間などいなくて、誰しもコンプレックスを抱えているのだし、私の存在が誰かのコンプレックスを知らないうちに刺激してしまっていることもあるのでしょう。感情に影のない人間なんてつまらない、闇があるからこそ人間は深くなれる、私はそう思っています。だけれど、それを抱えていくのは、本人にとっては大きな試練でしかなくて。

助言して欲しいわけでも、励まして欲しいわけでもなくて、ただ、そうゆう私という存在が、年月をかけて蓄積されている、それは少しのことで覆せるものではないということを、受け止めてくれたらそれでいい。



これは自分自身に向けた言葉なのかもしれないね。

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