見出し画像

日記を書き始めて気付けた大切なこと

こんばんは〜。クリスマスナイトでしたね🎄
クリスマスパーティー終わりたてほやほやのわたしです。今回はいつもより堅すぎない感じで書いていこうかな〜。



突然ですが、下に貼ってある記事は、わたしがわたしの存在価値や存在意義を見出してあげられなかった日に書いたものです。

この記事の出来事があった次の日から、今日までの10日間、毎日日記を書くようにしていました。いつも心が揺さぶられた日は何かと文字に残しておくことが多いわたしですが、この日は、この日以降も書くことを続けていこうと思って、日記のアプリをインストールしました。(形からはいることが大事ですよね)
その日生じた感情は、わたしが生きていく意味を見失ってしまいそうで、自分に絶望してしまいそうで、でもそんな毎日が続くのならば、わたしはわたしの力でそんな日々を変えていかなくてはいけないと思ったから。感情を客観視することと、日々に幸せを見出していけたらいいな、という気持ちで始めました。

この日記がとても良くて、本当に良くて、日記を始めて気づけたことが沢山あるから、一旦4つ、ここにまとめておきたい。

①わたしの居場所はひとつだけではない

 同じメンバーで集まっていても、その日に何をするか・何を話すか・どこへ行くか、という外部の要因や、その日の自分の気分や友達の気分という内部の要因によって、その日の楽しさや生じてくる感情、居心地の良さは変わってくると思います。(ここで言う「居場所」とは、誰と居るか、ということではなく、何の目的で集まったか、と言う意味合いの方が強いかな。)
 この記事の出来事があったときのわたしは、今その瞬間がすべてだと錯覚してしまった。大好きなメンバーでとても貴重な経験をさせてもらっているのに、心から楽しいと思えない。心の奥底から湧いてくるはずのわくわくを感じられない。自分の役割を探してしまい苦しくなってしまう。大尊敬している友達と自分を比較して悲しくなってしまう。前にこのメンバーで飲みに行ったときはあんなに楽しかったのに、今日も大好きな人達と会って楽しいことをしているはずなのに、心からその日を楽しめない自分に自己嫌悪してしまった。このメンバーで楽しめないのなら、わたしは、誰かと何かをするということに一生楽しさを見出せないのではないか。もともと”遊ぶ”ということに十分な楽しさを見出せない性格で、そんな自分が嫌だったからこそ、余計に自分に絶望してしまいました。
 でも次の日、他の人と会って、自分がわくわくできることについて話して、たくさん笑って、そうしたら、昨日の絶望なんてどっかにいってしまった。どうでもよくなってしまった。自分が楽しいと思えることと大多数の人が楽しいと思うことは違うかもしれないけれど、わたしにはわたしなりに楽しいと思えることがあって、それをしているときに生じてくる心からのわくわく感が、わたしを救ってくれた。あの日は本当に絶望して、希望の光の一筋も見えない気がしていたけれど、一晩寝て、他の目的で誰かと会えば昨日とは何もかもが違っていて、わたしの居場所はひとつだけではないと、それを忘れてはいけないと改めて実感することができました。「誰とするか」という部分はもちろん大事だけれど、それと同じくらい「何をするか」ということはとっても大事で、そうゆう意味での居心地の良い居場所を探していけばいいのだと思えた。自分に絶望するのはまだ早いぞ!って、明日からを生きることにまた希望を見出せて嬉しかった。これからも何度だって、絶望しては希望を見出してを繰り返してでも、しぶとくこの世界を生きていこうね。

ここからは、上記の出来事とは関係なく、その日以降に日記を書くことで気付いたこと。

②経験することの大切さ、言葉にすることの難しさ

 わたしの大切な同期が、大切な人との別れに直面しそうになった。
 そのとき私たちはみんなで公園で飲んでいて、ゆる~く夜の公園をほろ酔いで楽しんでいた。その同期は恋人と三年以上付き合っていて、しかも遠距離恋愛なのに安定していて、彼等の別れの危機なんて誰も想像していなかったと思う。この前お出かけしたときもペアリングをつけていて、ほのぼのした覚えがあるのは記憶に新しかった。急に電話をし始めた彼を少し不思議に思いながらも、みんなそれぞれ誰かとお喋りしながら夜を楽しんでいたそのとき、戻ってきた彼に告げられた言葉に心底驚いた。距離を置きたいと言われたとのことだった。
 わたしもそれなりに別れを経験していて、ここ二年間なんて三人とお別れしていて、沢山の人に優しい言葉をかけてもらって救われたはずなのに、大事なときにわたしは、なんて言葉をかけてあげればいいのか分からなかった。そもそも三年間も続いたことはないし、わたしの別れと彼の別れとでは生じる感情も思い出の数も年月の重みも違うわけで、わたしの経験だけでは想像に乏しかった。悔しい。無力だ。
 経験することは、想像力に繋がる。だから人は、苦しい思いをすればするほど相手に優しくなれるし、相手に寄り添うことができるようになる。新しい景色を見ることだって同じで、知らない土地に降り立って、自分のこの目で見て、五感で感じて、そんな経験をすることで新たに気付けることが沢山あるのだと思う。わたしには、まだまだ経験が足りないなあと感じた日。別れの原因もその人たちの間の関係性も、何もかもが同じ要因の別れなんて存在しないけれど、だからこそ、想像力でしか補えないし、支えになるのはいつだって誰かがくれた言葉たちだ。大切な同期だからこそ、わたしがしてあげられる最大限のことをしてあげたいし、ただ幸せに過ごして欲しいと願っている。言葉は取り返しがつかないし、思っていることをそのままの温度感で言語化することはとても難しいことだからひるんでしまうけれど、わたしの大好きなあの子のように、いつだって力強く心の支えになるような言葉をかけてあげられる人にわたしはなりたい。来年は、もっと恐れずにいろんなことに挑戦できる年にしたいな。

③大好きな友から学んだこと

 わたしの大好きな友と、やっとやっと、サシ飲みすることが実現した!上で出てきた”大尊敬している友達”も”大好きなあの子”もこの大好きな友のこと。わたし、この子のこと今まで出会った人の中でもトップレベルで尊敬していて、初めて女の子に沼りそうになった、それくらい。
    彼女と出会ったのは去年の10月。サークルのライブでギターボーカルとしてステージに立っていた彼女は、最初のたった一音でわたしを曲に惹きこみ、時折見せる笑顔でわたしを虜にした。きのこ帝国の「東京」という曲だった。生歌で泣いたのは久しぶりだった。あとから聞いた話だと、歌の事務所に入っていて、それくらいちゃんとステージ上で、誰かに聴かせる歌を歌ってきた子だった。その後サークルで同じ役職を務めることになって、いつの間にか仲良くなってた。彼女は天真爛漫で、誰からも愛される子で、ギャルなのに、文学的で、物事を深く捉えることが出来て、太陽と月を兼ね備えたような子。そんな子が、わたしと話す中でわたしのことを「よく考えている子」と受け取ってくれたらしく、どんどんどんどん仲良くなっていった。周りから見ればわたしたちは正反対で、みんなからわたしたちの仲を驚かれることもなんだか嬉しかった。
    彼女といると、学ぶことがたくさんある。まず、本当に話すのが上手。話をするときに、相手の目を見て、話の間に一旦落ち着く間があって、ちゃんと相手に語りかけるように、聞かせるように、ジェスチャーを混じえながら、相手の呼吸に合わせるように話す。ワードセンスも抜群で、沢山の言葉を知って自分のものにしているし、話の引き出しが多くて、日々沢山のことを考えているのだと思い知らされる。歌だけじゃなく日常の中でも表現力が垣間見える瞬間が沢山あって、本当に一生叶わない。
    話すのも上手なのに、さらに聞くのも上手なんだよ。どんな話をしても、それを受け取って彼女なりに考えて繋げてくれるし、反応の仕方も本当にわたしの話に興味を持って聞いてくれいるのだということが伝わってくる。人の話を否定せずに、その上でしっかりと自分の気持ちを言葉にすることが出来て、少し弱みを見せたときなんかその返事が優しすぎて、泣いてしまったくらい。わたしは話すのが苦手なのに、いつの間にかわたしの話を聞いて欲しい!と思って沢山話してしまった。話終わったあとに驚くよね、こんなに自分の話をしてしまうことそうそうないから。
    幼い頃、敷かれたレールに沿って生きるのがいやだったらしく、勉強せずに遊んでいたと言っていた。きっとわたしが優等生している間に、いろんな人と接して、いろんなことを考えて、悩んで、実践して、そうやって人と共に生きてきたのだろうな。
    一見毎日が楽しそうで、人と関わるのも得意そうに見える彼女だけれど、Instagramの小規模垢には日々生じるたくさんの思いが書かれていて、それはわたしもすごく共感のできる思いばかりだった。人は見かけじゃないし、彼女がどれだけ周りを思いやっているか分かった気でいたけれど、こんな彼女でもわたしと同じような思いを抱えることがあるんだ、と少し驚いた。そこに書かれた言葉たちはわたしの心の奥底に響いて、残って、大切にとってある。このnoteを始めたのも彼女がきっかけなんだ、えへへ。わたしももっと、言葉を大切にできる人になりたいです。

④明日を楽しくするのはいつだって自分自身

    大好きな友とサシ飲みして悩みが吹っ飛んだからか、バイト中に急に、わたしがわたしの明日を楽しくすればいいんだ!と思えてきて、そしたら思考が180°変わって、楽しいことばかり考えられるようになった。どちらかと言うと普段は不安なことや悩み事が頭の中をぐるぐるしてるのだけれど、急に、「それってなんで?楽しいこともこんなにあるのに?大好きな人達もこんなに居るのに?勿体ない!」と思えてきて。いつも勉強ばかりしてるけれど、本当に実行するかどうかは別として、”明日やりたいことリスト”なんて書き始めちゃった。楽しい。
    ”好き”があるからわたしは生きていける。救われる。生きる意味を見出せる。好きなもの、人、わたしをわくわくさせてくれるもの、そうゆうものに対してのセンサーを敏感にさせて、そのことについて考えられる日々は幸せなものだ。これからも”好き”を大切にしたいし、もっと自分から”好き”を深めていきたい。そう思えた日。



大好きな友と行ったひまわり



この記事が参加している募集

#スキしてみて

523,651件

#最近の学び

181,091件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?