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ロックバンドを好きな自分を好きでありたい

なぜ私はロックバンドが好きなのか、ということについて、ずいぶんと長い間考えているような気がする。不定期的にフッと浮かんできては、少し考えた後にまた沈んでいく。それを何度何度も繰り返しているのだ。


勝手な解釈だけれども、私はロックバンドが好きな人とそうでない人の違いは「音楽に救いを求めるかどうか」だと思っている。もちろんそんな音楽ばかりではないし、そうじゃない人がいるのは百も承知である。
だけど、悲しい時や辛い時に音楽に救われた人は少なくないのではないだろうか。

そもそもロックは元々ブルースから生まれた音楽だ。ブルースは奴隷として連れてこられた黒人が寂しさや悲しみを歌ったもので、それを白人が発展させたものがロックだ。だから、ロックの底には悲しみという"負の感情"がある。

ロックバンドの殆どが、自分たちで作詞作曲した歌を歌う。つまり、歌詞やメロディにのってくるのは彼らの言葉や思いそのもので、その奥底にあるのは、ブルースから伝わる彼ら自身の負の感情だ。

けれども、ロックはそこで終わらない。いつだってロックはどうしようもない悲しみや絶望に対して、くじけない勇気や希望を歌ってきた。

そこに自分自身の感情を重ね合わせ、涙し、奮い立たせることで、私は私は何十回何百回と沈んだ心を取り戻してきた。ロックバンドに、救われてきた。

それがなんだかメンヘラみたいで、バンドが好きだと人に言うことが少し恥ずかしかった。
(まぁガンガン言うてますけども。笑)


最近になって、ふと、
私が救いを求める先にあったものがたまたま音楽で、ロックバンドだっただけではないか、ということに気づいた。

人間誰しも負の感情に陥る時があって、そんな時に救いを求める先は一人一人違う。ある人は運動することかもしれないし、ある人は食べることかもしれない。またある人は人に話すことかもしれないし、ある人は寝ることかもしれない。

それが、私はロックバンドを聴くことだった。

それだけじゃないか。

まぁそれがメンヘラだ、と言ってしまえばそこまでだけど。表面化していないだけで、みんな多かれ少なかれメンヘラな部分はあると思う。人間だもの。


そう考えると、ロックバンドが好きな自分も好きになれる気がしたのです。

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