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私が何とかしなければ、を手放した先にあるもの

ご無沙汰しております。

遅くなりましたが、2021年も、どうぞよろしくお願い致します。


私はというと、年末年始バタバタしていまして今日はその時の事を書きたいと思う。

実は主人が新しい会社に転職することになって。その話は私の知人から3カ月ほど前にいただいていたのだが、その時主人はピンと来なかったらしく、そのまま消えていたかのような話だった。でも、12月の後半になって突然「あの話ってまだいけるかな~」っと私に言ってきた。

今度の仕事は、主人が昔やっていた仕事と同じ関連で、主人の得意とする仕事であり、頑張った分もお給料に反映される。私はずっと主人にこの話に乗ってほしいと思っていた。でも主人にとっては今の暮らしを変えるのは大きなエネルギーが要るみたいで躊躇していたが、やっとその気になってくれたようだ。

あれよあれよと、説明を聞きに行き、年明け早々に面接に行き、以前やっていた業績も認められて採用となった。それと同時に、今住んでいる一軒家は社宅な為、引っ越す事になった。

運よく、同じ市内に予算内の物件が見つかった。私の仕事場にもそこから通う事ができる。

私達は7年前、主人の仕事が突然閉鎖になり、その後始末に追われ、とりあえず関連の会社を頼ってこの地に来た。社宅としてあてがわれた家は、ボロボロのごみ屋敷で、家財道具もそのまま何年もほったらかされていた家であった。HSPの私は始め見た時吐き気がした。

しかし、当時の私達にはここが最善の選択であった為、主人とDIYをしながらなんとか住みやすい家に変えていった。

生活も落ち着いていったが、主人の仕事は職種も主人にはあっておらず、給料面も満足とはいえなかった。

主人も何度も、仕事を変わろうとしたけれど、どれも望むような結果にはいたらず、二人とも細々と何とかやっていけていた今の生活がずっと続くものだと思っていた。

私は、今まで家族が困難な時、頑張って何とかしてきた。それも独りで。何とかしなければっと思ってしまう。誰も頼らず。そういう性質を持っていた。だから、私がもっと稼がなければ、何とかしなくてはといつも焦りに近い気持ちを持っていた。そして動いたり情報を集めるが、どれもうまくはいかなかった。

でも、以前話したように息子が不調になって、自分もボロボロになってしまった時、なんとかしようと思いすぎていた事に気づいたのだ。

確かに、状況を良くしようと必死に頑張るのは悪い事ではない。でも、今思い起こせば、何とかなる時はどこか他からヘルプが差し出された時であり、何かしら他からのきっかけがあったように感じる。


何か上手くいかないと感じる時は、自分の学びの時である。その時はどうあがこうと、逃げられない事が多かった。逃げたいと思えば思うほど逃げられない。ここから出たいと思えば思うほど出られない。

そして、どこかもう諦めて、受け入れてなんとかやっていけるようになると、ポンっと新しいチャンスがやってくる。そしてサクサクと物事が進む。不思議なものだ。今回も、この学びが終わり新しいチャンスがやってきたのだろう。

私は、もうそれを何回も繰り返している。この世にチャレンジするという経験をしたくて生まれてきたようなものなのだ。(全く、何という使命を持ってきてしまったのか。もうそろそろ、年齢と共に落ち着きたいと思うのだが・・)


私が頑張らなくてはいけない、私が、私が、私が・・


頑張りたかっただけなのだ・・・人を信用できなかったんだな・・


これからは主人に頑張ってもらおう。今はそう思える。それでいいと思える。

私がなんとかしなければを手放した先に、どんな生活が待っているのか今は楽しみでしかない。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。









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