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真面目な未婚者はなぜ不倫に突き進むのか

弁護士運営の結婚相談所Marriage Baristaです。
普段は結婚相談所と離婚・男女関係問題を専門に弁護士をやっています。

これまで弁護士法人でお仕事をしていましたが、今年7月から、離婚・男女問題を専門とする法律事務所を立ち上げました。

この仕事をしていると、普段の人生で経験しないような感情のもつれにたくさん接することがあります。
負の感情をぶつけられまくるので、パーソナルジム明けでつよつよにしてきたメンタルも奪われまくるし、場合によっては相手方が殴り込んできたり中傷されたりとしんどいこともありますが、その分得難い経験値をたくさんいただいています。

そんな経験の中から
今日は「なぜ、人は損しかしない不倫に突き進んでしまうのか」に対する考察をしたいと思います。

恋愛なんて損得で考えるべきではない、というのはそのとおりです。
ずっと片思いをしていてもいいと思うし、別れた人との復縁を考え続けるのも自由だと思います。

それでも不倫はやっぱりダメです。

相手の婚姻関係を破綻させて裏にいる家族たちに重大な苦痛を与えるし、その点について法的にも責任追及もされます。

もちろん不倫というのも、当然既婚者側と未婚者側の両側面があって、
既婚者で不倫をしちゃう人はどちらかというとモラルと理性の問題であることも多いのでこの考察からはさておいて、
本稿では、なぜ、未婚者がすべきではない既婚者と恋愛関係に陥ってしまうのかについて考えていきたい。

不倫に陥ってしまうまじめな人たち

そもそも不倫に陥ってしまう人ってどんな人なのか?
イメージ的に、性に比較的開放的で、軽率な行動をしてしまう人、好奇心が強い人、僕はかつてそんなイメージを抱いていました。
不倫に突っ走ってしまうのだから貞操道徳観念が乏しいに違いない。今でも有名人が不倫すると、そういう批判をよく目にします。

ただ、実際に関わってみると、不倫に陥ってしまう人って意外にすごく真面目な人が多いんです。
もともと不倫なんて絶対に許せないし、自分が結婚したり付き合っていたら浮気は絶対にしない、というような人。
そういう人が何故か不倫の沼に沈み、あとあとになって「あの頃の自分おかしかった」と頭を抱えているシーンを多々みてきました。
一方で遊んでいる人、割と恋愛関係が不真面目な人は、不倫というリスクをうまく回避して、安全に遊び続けていきます。

なぜ、真面目な人こそ不倫の沼にハマってしまうのでしょうか?

歪んだ「運命の人」理論

僕個人としては、真面目な人ほど、
恋愛ドラマや映画で定義された運命の出会いにこだわってしまうからではないか、と考えています。

「運命の人」っていうと、どんなイメージを持つでしょうか?
もちろん定義なんてたくさんあるはずです。
但し、恋愛映画やドラマでは、


なんの変哲もない退屈な日常に、突然現れた出会い。
          ↓
その出会いから色々あって、自分と性格や波長が合う人なんじゃないかと思い惹かれ始める
          ↓
その恋が実るまでにたくさんのドラマチックな障害(恋敵が現れた、事故が起きる病気になる等)起き、乗り越える
          ↓
結ばれる(場合によっては死別したりして結ばれずに終わる)


みたいなストーリーが多い。

エンタメとしてはもう全然いいんです。
場合によっては本当にノンフィクションもあり、そんな恋愛はとても素敵なことです。

ただ、そんな恋愛ドラマを見続けていると、恋愛はこの入りですべきだし、何気なく出会った気が合う相手との恋愛こそ大事だと思い込んでしまう。

そうして入り込んだ恋愛がどんなに間違っていたとしても、それは第二話以降で繰り広げられる障壁だとみなしてしまう。

不倫をした側のお客さんのから事実関係を聴き取っていると、真面目な人が得しない恋愛にのめり込んでしまう例って結構こんな感じだなって思うことが多いのです。

ただ、僕は不真面目だからかもしれませんが、異性との出会いなんて、運命もなにもない、ただ道路にたまたま落ちているきれいにみえる石みたいなものだと思っています。
だから申し訳ないけど、近くにいた素敵な人は素敵な人だな―とは思っても、いきなりそれ以上の意味を持たせずドライに接してしまうことが多いです。

ただ、真面目な人は、知らず識らずのうちに「こうあるべき」の出会いを持っていて、その条件で生じた出会いに、とことん真面目に向き合おうとしてしまいがちだなと感じます。

自分と合う人なんて20人から100人くらい会えば1人くらいいる論



これはなんの根拠もソースもない僕の経験則ですが、

自分とウマがあって波長が合う人なんてどんなに少なくても100人に1人くらいはいる

と思っています。
1学年150人くらいの学校にいたら、少なくとも1人か2人くらいは親友としてつるむ奴ができたり、1人くらい付き合いたくなるような異性っていたじゃないですか。
(僕自身の感覚としては、さらに進んで20人に1人くらいの割合でいるのではないか、という感覚です。)

つまり、超雑な計算でいくと、
例えば恋愛対象が25〜34までだった場合


日本の上記範囲の男性人口は660万人くらい、女性人口は620万人くらいいます(「人口推計―2022年(令和4年)7月報ー」総務省統計局より)。
ここから既婚者とされる分の人口を省いたらもっとリアルな数字がでると思うのですが、大学受験に数学を捨てて私大文系に逃げ込んだド文系脳ではこれ以上の思考が無理なので、シンプルに自分のウマが合う同世代、という括りで考えると、
既婚未婚関係なく、日本に自分とウマがあう恋愛対象者(25〜34歳)は、
600万人×1%=6万ちょいくらいいる計算になります。
人口6万人というと東京都千代田区くらいの人口だそうです。
まぁ、千代田区は人口構成が特殊ですが、とりあえず、茨城県の鹿嶋市とか埼玉の蓮田市とか、都道府県のそこまで中心ではないけど田舎でもない都市の人口くらいいます。
既婚者を差し引いてもどんなに少なくとも4万人くらいはいるでしょう。

なので、めちゃめちゃ人海戦術でがむしゃらに探せばどこかで結婚してもいい人に出会えるという乱暴な議論もギリギリ成り立つと考えています。
(それでも出会えない場合は、ご自身の選択の幅とかそもそも恋愛や結婚をこころから望んでいるのかとか内面的な原因もありそうです)

とは言え、何気ない出会いのみでこれを待つとなると途端に奇跡的な数字になります。

だって、日常を受動的に生きてて異性の出会いが降ってくるイベントって、入社後とか転職、人事転換後の出会いとか、取引先での出会いとか、週末に開催される合コンの3対3の出会いくらいしかありません。

受動的に生きている中で降ってくる出会いってめっちゃ少ないんですよね。
その中で自分とウマが合う人がドラマチックに降ってくるのを待とうとするのは、砂漠で雨を待つのと同じです。

それでも奇跡的にその「雨粒」が降ってきたら…

ありがたく飛びついてしまいますよね。
それが上空で飛ぶ鳥のションベンであったとしても。

歪んだ運命の出会いを上塗りする確証バイアス


「確証バイアス」
という心理用語があります。
平たく言うと、物事を評価する時に評価する軸の情報ばかり集めて固めてしまうことです。

飛ぶ鳥のションベンであっても、それが恋愛ドラマで言う「正規ルート」で舞い降りてきたものであれば、自ら運命のもののように仕立ててしまう。むしろ、運命だと思うからこそ、自分から「これは運命だ」と都合よく事実を寄せていく。

それでも歪な形の愛情なのだから、日に日に現実との折り合いがつかずに不都合が生じていくけれど、
「運命の出会い」なんだからその不都合に対して違うと言えずに、自分の方を無理やり合わせて修正しながらズルズル引きずられて行き、
知らぬ間に探偵にあとをつけられ、ある日突然弁護士から内容証明郵便が届く。

それは真面目な自分の人生を投げ出してまで本当に大事にすべき運命だったのでしょうか。

「運命の人」とは

運命の人の定義なんて人それぞれですが、僕が今までいろんな夫婦を見てきて思う運命の人、というのは、
出会い方ではなく、喧嘩したり揉めながらも、なんどか山を乗り越えてきたあとに振り返ってみたらなんだかんだで一緒にいた人だと思います。

マッチングアプリで10人くらいであってみて妥協で選んだ6番目の人だったり、結婚相談所で疲れた頃に消化試合で申し受けた人だったり、
出会い方はあまりドラマにならないので、当然第一話として世に放たれることはない。

でも、それでも結婚や育児やお金の問題をなんだかんだで乗り越えて10年経てば、その人は「結婚」という軸では、きっと運命の人だったのだと思います。

もし、同じ職場で波長が合い、一緒にいて気持ちが安らぐ両思いの既婚者がいたとしたら、それは100人に1人くらいいる、自分にたまたま合う既婚者な人、なだけ。

基本的に恋愛に間違いなんてないけど、
他に家族がいる人との恋愛は、どんなに運命的に見えても、運命に見えるようなもの、どんなに幸せに思えてもそれはただの幸せのようなもの。

運命でも幸せでもなかったことに、弁護士から受任通知や裁判所から訴状が送られてきたあとに気づくのです。

砂漠で空から降ってきたよくわからない液体をありがたがらなくても、探せば必ず正解はあります。
恋愛ドラマの「運命」をなぞる必要なんてない。

これだけ運命運命言ってたら「運命」の文字がゲシュタルト崩壊してきてよくわからなくなってきたので、ウィキペディってみました。


人間意志をこえて、人間に幸福不幸を与えるのこと。あるいは、そうした力によってやってくる幸福や不幸、それの巡り合わせのこと。

人生は天の命によって定められているとする思想に基づいて考えられている、人の意思をこえて身の上に起きる禍福。

将来のなりゆき。

wikipedia

だそうです。そう考えると、恋愛ドラマのような出会いは、まさに運命なのかもしれません。
但し、運命とは人間の意思を超えてやってくる「不幸」でもあります。
その「不幸」は真面目に生きたい、人に迷惑を掛けたくない、そんな人の意思をも飛び越えてきます。

出会いに正しいも美しさもいらない。

100人に1人くらい(というか20人に1人くらい)は運命の同世代はいるはずなんです。というかそう思いましょう。
日本で考えたら千代田区の人口や鹿嶋市の人口くらいはいる、お住まいの都道府県のまあまあ田舎かなーと思う都市の人口くらいはバイブスが合う異性なんているんだから、もうちょっと泥臭く探してみませんか?


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