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頑張っている人

僕は精神論は嫌いだ。
もちろんやる気は必要だが、それだけでなんでも解決する、成し遂げられるとは思っていない。
体育会系にありがちな、必要以上の挨拶や、意味のないしきたりにも反対だ。
しかし、一生懸命に頑張っている人の、その頑張りは、結果にかかわらず評価したいと思っている。
世の中は数字、結果が出なければ、頑張ったところで何の意味もない。
そう言う人もいる。
しかし、僕は決してそうは思わない。

僕が社会に出た頃、1980年代半ばは、まだまだ年功序列が残っていた。
終身雇用も当たり前だった。
今では、多くの会社で成果主義が取り入れられて、終身雇用、年功序列は、特に最近は、マスコミが作り上げた「働かないおじさん」を悪例にして否定されている。
僕は、あの「働かないおじさん」はネットに乗せられたマスコミの作り上げたものだと思っている。
確かに、やる気をなくしたおじさんはいるかもしれない。
しかし、今の時代にやる気をなくしているのは若者も同じだろう。
それに、もしそんなおじさんが本当にいるならば、働かずに給料をもらえるなんて最高じゃないか。
まあ、こんなこと言ってるおじさんがいるから嫌われるんだろう。

成果主義が本格的に取り入れられ出したのは、バブル崩壊後あたりからであったように思う。
それまでの成長にストップがかかり、これからは日本的経営では駄目だ。
欧米のように能力主義、成果主義を取り入れなくては。
そうして、日本的な文化、考え方はそのままに、システムだけがその上に無理やりはめこまれた。
しかし、自己を主張することが当たり前で、会社などの集団よりも個人を重視する欧米では機能したのだろうが、この国では果たしてどうだったのか。
上から一方的に下された評価に、どれだけの人が堂々と異を唱えられただろうか。
その会社でのポストに満足できない人が、どれだけ新しい会社に移ることができただろうか。
この国には、まだ自己を主張する文化もなく、上司に逆らえる風習もなく、転職でステップアップできる社会でもなかった。
日本的な文化と慣習の中に取り入れられた欧米由来のシステムは、多くの人からやる気を奪っていったのではないか。

僕も能力や成果は正しく評価される社会が望ましいと思っている。
また、例えば新卒からずっと勤め続けるだけではなく、どんどんチャンスがあれば会社を移り、ステップアップできる社会が望ましいと思っている。
しかし、それには、まずそれを受け入れるだけの基盤が必要だ。
かつて大手企業の社長が、45歳定年を提言して炎上した。
しかし、僕はこの国を急速に変えようとすれば、これくらいの荒療治をしていかなければ変わらないのではと思っている。
このような発言が全否定されるところに、この国の歪さが現れている。

仕事ができる人ばかりではない。
結果の出せる人ばかりではない。
しかし、それでも真面目に頑張っていれば、それなりの将来がきっとやってくる。
それが、そんなに悪いことなのだろうか。

僕も小さな集団を率いていた経験がある。
その中では、数字的な結果は出せない者もいた。
しかし、部署内の仕事の効率化において、驚くほど力を発揮する者もいた。
備品の管理を任せておけば間違いない、そんな者いた。
中には、とにかく明るい、そんな者もいた。
もちろん履いてますよ。
彼が席にいるだけで、みんな気分が良く仕事ができる。

僕は、上司と部下が意見を交わすことのできる本当の評価主義、成果主義がやってくればいいと思っている。
就活に失敗すれば人生が終わったように言われる今の雇用形態ではなく、誰でも自分の意思でどんどん働く場を変えていける世の中がいいと思っている。
一方で、能力がある人もない人も、誰もが夢を持てる社会、それも決して切って捨てるべきではない。
経営者からすれば、そんな余裕は無いんだよと言われるだろうけれども。

何の足しにもならないが、頑張っている人を僕は応援していきたい。
僕が評価したとて、その人の生活は何も変わりはしないけれども。

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