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オーバーツーリズムと観光について

京都のオーバーツーリズムについて、あるコメンテーターがこんなことを言っていた。
「観光客を周辺地域にも行ってもらうようにすることが必要です」

そうだろうか。
あの人たちは、周囲にいいところがあってもなくても、とにかく「京都」に行きたいのではないか。
あるいは「清水」とか「金閣」とか「嵐山」とか。
それに、マナーの悪い観光客を他に散りばめても、被害?を拡大するだけだ。

富士山の写真の件で、あるコンビニが話題になった。
手前の歩道に黒幕を設置するとかしないとか。
これにも、あるお役人が、
「富士山の周辺には他にももっといいところがあるので、そこを発信していきたい」

そうだろうか。
あの人たちは富士山なんかに興味はないのだ。
興味があるのは「コンビニの上の富士山」なのだ。
黒幕で写真が撮れなくなったからと言って、他の富士山周辺の観光地に、あの人たちが行くとは思えない。

結局、もはや手遅れなのではないだろうか。
インバウンド、インバウンドと言って、何の対策もないままに浮かれている間に、こんなことになってしまったのだ。

いろいろ値上げをすればと言う意見もあるが、問題なのは、人の多さとマナーの悪さであって、儲からないことではない。
値上げをすれば、やってこないだろうということなら、はっきりと「来ないでください」と言えばいい。

あまり良い言い方ではないが、以前は外国人でも富裕層しか来なかったところが、円安の影響で、そうでない方も外国からやって来ている、そんな意見もある。

結局は、円安がおさまるまで、じっとしているしかないのか。

同じようなことを、かつて日本人が海外でやってきたのかと思うと、ちょっと恥ずかしいが。

もちろん、原因は外国人だけではない。
今や観光そのものが変わってしまった。
目的は、観光地に行くことではない。
観光地にいる自分を発信することなのだ。
それは、かつての観光地である必要はない。
誰かが発信したところ。
その同じところに、いとも簡単に行ってしまっている自分。
それを発信すること、それが今の観光だ。

人は自然の猛威に勝つことはできない。
人も自然の一部だとすれば、やはり、ただ耐えるしかないのだろうか。

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