新社会人に問う、「君は真摯であるか」
新年度がスタートして、新社会人もいよいよ本格的に働き始めている。
noteでも、新社会人に対しての記事が増えている。
昨日の記事では入社式が嫌いだと書いたが、入社式は嫌いでも新入社員は好きだ。
こんな僕にも、彼らだけは「はい」と素直に従ってくれる。
そのうちに先輩から、
「マー君さんに騙されちゃダメだよ」
などと吹き込まれるのだけれども。
だから、僕もこれまでに、この時期になると新社会人に対してあれこれと書いてきた。
まあ、みんな先輩は、何かと言いたくなるようだ。
もちろん、僕だって、書いている時には真剣に何かの参考になればと思って書いていた。
しかし、僕がサラリーマン生活を離れて約3年、会社や仕事のあり方、働き方も変わっているだろう。
いまさら何を言っても、時代錯誤になりかねない。
言葉を間違えればハラスメントだ。
それでも君たちに伝えたいと思うほど熱血漢でもない。
ただ、ひとつ思い出したことがあるので、書いておきたい。
「あなたは真摯であるか」
ピーター・ドラッカーの「マネジメント」、少し前に「もしドラ」で話題になったあの本だ。
読まれた方も多いだろうし、新社会人ももしかすると誰かにすすめられて手にするかもしれない。
その中に、こんな一節がある。
今手元に本がないので正確ではないが、マネジメントをするリーダーの条件のひとつとして、
「真摯であること」
があげられている。
「真摯」
これを読んだときに、社会に出て間もない、若き日のマー君はどう思ったか。
「真摯、これ、俺のことやん」
そう、「真摯であること」、それこそ自分だと思ったのだ。
もしかして、ドラッカー君、俺のために書いてくれてる?
結局、僕は会社の中の小さな集団のリーダーにはなれたが、そんなに優秀でもないままにサラリーマン生活を終えることになった。
あんなに「真摯」だったのに。
そのサラリーマン生活も終わろうかという頃に、ふと僕は思いついた。
僕が自分こそは「真摯」であると思ったあの時、同じ本を読んでいた誰もが、自分こそ「真摯」であると思っていたのではないか。
世の中には、ドラッカーを読んで、自分こそは「真摯」であるとホクホクした人であふれていたのではないか。
そして、本当に「真摯」な人とは、それを読んだ時に、
「ああ、自分はなんていい加減なんだ。もっと真摯でいなければ」
と自らを正直に省みることのできる、ほんのひと握りの人だったのではないのか。
だから、もう一度問う。
「あなたは真摯であるか」
この問いに、「はい」と答えられたあなたは、多分「真摯」ではない。
なんだか、クレタ島のパラドクスのような話になってきたが、そうなのだと思う。
これが、僕のアドバイスだ。
「あなたは真摯であるか」と聞かれたら、「いいえ」と答え続けなさい。
いちおう、過去の新社会人向けの記事もあげておく。
社会に出ると、こんなさりげない厚かましさも大切なのです。
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