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あなたは何故本を読むのか

何故そんなに本を読むのか。
本を読まない人からすれば不思議なのだろう。
人の趣味はわからない。
コスプレの趣味のない僕には、ハロウィンで騒いでいる人の気持ちがわからない。
でも、その人たちからすれば、どうしてこんな日にコスプレしないんだろうと不思議がられているかも知れない。
そんなものだ。

何のために本を読むのか。
ひとつは、知識を得るために読む。
解説本やハウツー本などがこれにあたる。
ビジネス書のなかにもこれに当てはまるものがあるだろう。
そして、そんな本を読んでいる人に対しては、
「あなたは何のために本を読むのか」
とは誰も尋ねない。
知識を得るために読むと答えが決まっているからだ。
もちろん、新卒の社員が、老後の蓄えに関する本を読んでいれば、
「なんで今頃からそんな本読んでるねん」
と聞いてしまうことはあるにしても。
目的が、今後の人生のためであれ、何かの試験のためであれ、仕事のためであれ、興味本位であれ、その目的ははっきりしている。
知識を得るためだ。

しかし、そんなこととは別に、
「何のために本を読むのか」
と言う問いは存在する。
この時の「本」とは、知識を得るためのものではない。
恐らく、文学書、思想書、哲学書そのようなものを指すのだろう。
いわゆる、「高尚なもの」、何がそうなのか、そんなものがあるのか、そんな議論は別にして、いわゆる「高尚なもの」のことだ。
もちろん、「高尚なもの」とは、あなたが人生のほんの少しの時間を捧げようと選んだ本のことだ。
そして、この問いには、
「そんな本を読んで何の役に立つのか。君の時間もお金も、もっと何かの役に立てるべきだ」と言う、ややハラスメントめいた主張が隠れていることもある。
そんな主張は無視して、無視できなければ、
「何の役にも立たないから高尚なのだ」
と、オスカー・ワイルドの、
「生活など庶民に任せておけ」を引用しながら答えておいて、さて、
「何のために本を読むのか」

その答えは、もちろん、答える人の数だけあるだろう。
あるいは、それはむしろ答えるべきではない、本を読む人は永遠に問い続けるべき問いであるのかもしれない。
僕だって、ここで、こんなことを書き始めては見たものの、答えがあるわけではない。
強いて言えば、
「本を読んでしまったから」
としか答えようがない。
それでも、少しかしこばって言えば、
「生きるために」

「生きるために」本を読むにあたって、僕の頭にあるのは、ミシェル・ビュトールがどこかで語っていた言葉だ。
「文学とは、人生を生きていくためのワークブックのようなものだ」
この灰色でもあり、ミルク色でもあり、霧のようでもあり、複雑に絡み合った蜘蛛の糸のようでもある人生を、ひとつひとつ解きほぐしながら歩んでいくためのワークブック。

そして、もうひとつ、短い話を紹介したい。
これは、どこで読んだのか忘れてしまった。
ある作家のエッセイ集だったと思う。
もしご存知の方がおられれば、誰の本だったか教えて欲しい。

ある劇団にひとりの新人女優がいた。
練習をしてもなかなか主役になれない彼女は、ある時、劇団の支配人に直談判した。
「どうしてわたしは、主役になれないのですか。こんなにくる日もくる日も、練習しているのに」
答えに窮した支配人は、たまたま机の上にあった一冊の本を指差した。
「とりあえず、その本を読んできなさい」
彼女はその本を読み、また支配人を訪ねた。
「この本を読みました。でも、まだ主役になれません」
支配人は、
「わかった、もう一度、読んできなさい」
彼女は、言われた通りにその本をもう一度読んだ。
そして、
「言われた通りに、もう一度、この本を読みました。でも、まだ主役にはなれません。どうしてですか」
その時には、支配人も何かを感じていたのかもしれない。
「わかった。でも、もう一度だけ、その本を読んでみなさい」
しばらくして、彼女がまた支配人の前に現れた。
「あの本をまた読みました。そして、わかりました。人生には、わたしの知らないこんなに色々なことがあるのだと。人間とは、こんなに奥深く、素晴らしいものなのだと。それがわかっただけで、結構です。もう、主役になんかならなくても大丈夫です」
そう言った時の彼女は、これまででいちばん輝いていた。
間も無く、彼女は劇団を代表する女優になった。
ちなみに、その時の本は「ボヴァリー夫人」であったという。

正確ではないが、こんな内容だ。
これ以上の理由を僕は知らない。

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