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パブリックへの関心

本日は、JBpressに発表された朝比奈一郎氏の『政治行政に関心を持たず、政治家・役人を見下す日本人、これでは国が溶けていく』を読んで、思った所を書いてみます。

朝比奈一郎氏とは……

著者の朝比奈一郎氏は、1973年生まれ。東京大学法学部卒業、経済産業省に入省、ハーバード大学行政大学院(ケネディスクール)で修士号取得と、エリート街道を歩き、2003年内閣官房在職時代には、霞が関の若手官僚たちで作る「プロジェクトK(新しい霞ヶ関を創る若手の会)」を立ち上げ、初代代表を務めています。経歴から伺えるのは、”ピカピカのエリート”ということです。

現在は、政策シンクタンクやリーダー育成、地方創生などを手掛ける青山社中株式会社代表(筆頭代表CEO)を務める他、自治体のアドバイザーや大学の客員教授など、幅広い方面で活躍中です。

パブリックに従事する人を軽視する風潮への警鐘

氏の主張の根幹と考えられる、「パブリック(公共)に貢献した人に対する敬意が少ないのは、日本の弱体化を加速させる」という点については、私も同意見です。パブリックサービスの改善・向上に奮闘している人々を軽視して貶めたり、馬鹿にしたりするのは、近視眼的で失礼な態度です。意見の相違や立場の違いによって議論が衝突するのは健全で、社会の活性化に繋がる可能性はあるので有益です。しかしながら、相手に対して一定の尊敬を払わない一方的な誹謗中傷や個人攻撃的な振る舞いに接すると、殺伐とした気持ちにさせられます。

政治家や官僚の仕事は、少し想像力を働かせれば、苛酷で割りに合わない仕事であることはわかります。『公僕』とは、私利私欲を乗り越えて社会に尽くすことを使命とする職業です。そういうきつい仕事に従事する人々への敬意を一切払わず、自分の価値観や不平不満を押し付けて聞くに堪えないことばで批判したり、責任を追及したりする場面が多すぎます。相手への敬意を欠いた稚拙な論戦からは、建設的な批判や案は生まれず、国家運営が益々劣化していくような気がします。

ただ、そのような風潮が強くなってしまった背景には、政治家や官僚の軽率な言動や行動、社会常識を逸脱した利益誘導、情報の隠蔽や虚偽など、人々の期待や信頼を裏切るような事件が度々起こってきたことが影響していることは否めません。権限を持つ人々のノブレス・オブリージュと緊張感を保つ為にも、監視と健全な批判は必要です。

税金を使って人材を流出させている不思議

この記事で最も共感したのは、以下の部分です。

経済的に余裕のある家庭に育ち、安い学費で国内最高峰といってもいい教育を受けた学生はいま、卒業後に外資系のコンサルや金融機関など、高い年収が得られる職業に競うようにして就いています。であれば、税金を使って学費を安く抑える必要もなく、国民から「われわれの税金を使っておきながら何をしているんだ」と叱られても仕方ありません。
外国人から見て、「日本人は、税金で、優秀な学生を育成して、それを皆、外資系のコンサルや投資銀行に入れて、悪く言えば、日本から富を収奪する手先にしているのだから、本当に不思議な国・社会だよね」と思われても仕方ない現状です。

朝比奈氏は、この傾向は学生の責任ばかりではないと擁護していますし、私も同意見です。現実問題として、「割に合わない」政治家や官僚の仕事に、志の高い優秀な人間を集めるのはなかなか難しそうです。長時間労働が当たり前で、パワハラも残っていそうなブラックっぽい職場、金銭的見返りも十分ではなく、厄介な問題に巻き込まれればトカゲのしっぽ切りに合う可能性も高い…… そんな環境に、真っ当で優秀な人間を送り込んでもいいのか、という気もします。

となると、著者が引用している成田悠輔氏が著書『22世紀の民主主義』で述べているように、選挙制度を解体する… 政治家や官僚の持つ裁量権・判断権を取り上げて、高機能AIに代用させる… つまり、政治家や官僚に大事な仕事をさせない、というのが現実的な解決策かな、という気もします。

明治維新の歴史認識

一方、朝比奈氏の明治維新についての評価は、私とは異なります。

朝比奈氏が、明治維新とその立役者となった薩摩藩・長州藩を「改革の旗手」として好意的に受け止めていることが伺える表現があります。(青山社中という名称は、幕末に坂本龍馬が起こした亀山社中に倣った命名であるようです。)

歴史を振り返れば、地域から日本を変えた例がありました。明治維新です。幕末期、幕府が機能不全に陥りつつあった中で、地方の雄藩が明治維新という日本の改革を進めました。薩摩藩や長州藩が突破口を作り日本全体が変わっていったわけです。今考えると信じられませんが、日本のほとんどの藩が守旧的で、改革マインドもなく、門閥による支配が跋扈する中、薩長などごく一部の藩での改革が契機になって、明治維新という世界史的に信じられない一気の大改革・近大化(近代化?)が実現しました。

朝比奈氏がここから展開する主張(地方に日本変革の希望がある)の前振りとして書かれた部分なので、字数の関係からも、細部にはあえて目を瞑り、極力単純化して書いたのもしれませんが、大胆に割り切り過ぎで、この歴史認識には、違和感があります。

私は、明治維新の立役者とされる長州藩・薩摩藩の政権担当能力は心許ないものであり、実際の政治や行政運営には旧幕臣の尽力が不可欠だった、という理解をしています。また、長岡藩(河井継之助)、米沢藩(上杉鷹山)など、藩政改革で実績を挙げた藩もあったものの、徳川幕府寄りの藩出身の人材は、新政府の要職から概ね排除されてしまっています。日本の近代化の貢献における長州・薩摩、あるいは地方の役割については、やや過大評価だろうという感想を持ちました。


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