本当に大切なら、失くさなかったのか
幼いころ、スーパーで母に買ってもらった食玩のネックレスが大好きで、きらきら光るおもちゃのそれを、とても大切にしていた。
丁寧にしまい、取り出して眺め、身に着けては鏡を見て満足し、またしまう。
そんなふうに、すごくすごく大事にしていた記憶があるのに、今は持っていない。いつ手放してしまったんだろう。
中学生の頃、大好きだった人にバレンタインのチョコレートを渡した。
翌月のホワイトデーに、「お礼です」って言って、ハンカチをもらった。
その恋は実らなかったけど、初めて好きな人からもらった物だからとても使えなくて、包み紙ごと勉強机の引き出しの一番上にしまっていた。
時折引き出しを開けては眺め、その人のことを想い、叶わなかった恋を振り返り、また包んでしまっていた。
この先もずっと大事にすると思っていたのに、今はどこにあるかわからない。いつ失くしてしまったんだろう。
20歳になり、成人式の日。高校の同窓会があった。
高校1年の時に道徳の授業で書いた、「20歳の自分へ」という手紙を、当時の担任の先生から一人ずつ渡された。
何を書いたかなんとなく覚えていたが、思い描いていた将来の夢とともに、
「今、自分が行きたいと思っている道を、20歳の私は進んでいるのでしょうか? 進んでいるといいな。負けないで。」
という言葉が書かれていた。
私は大学受験に一度失敗し、すでに別の専門を学び始めていた。まだ職業までは決まってはいなかったが、当時思い描いていた道にはおそらく行けないところにいた。
手紙を書いたときは、「絶対に自分は、なるんだ」という強い気持ちを持っていた。
挑戦はしたが、一度断たれたことで、別の道を選んだのは自分だ。
あの時の強い気持ちは、どうやって消したんだろうか。あの手紙も、どこへやったが忘れてしまった。
就職活動中は、「この会社に入ったら、こんなことがしたい!」と思い描いていたのに、いざ入社し働き始めると、それさえも忘れてしまっている。
だって。だって。だってさ。
現実に、日常に、失敗に、誘惑に、批判に。
あらゆるものにさらされたせいだと、私の心が言い訳をしている。
でも本当は、持ち続けたい。
今いる場所を、全力で肯定したい。
「ここではないどこかへ行きたい」と思いながら生きるのは、もうやめたい。
ネックレスだって、ハンカチだって、本当に大切なら、ずっと持っていることができたはずだ。
将来の夢だって、一度の失敗であきらめなくても、また挑戦することだってできたのかもしれない。
もしかすると、そんなに大切ではなかったのかもしれない。
でも、過去はどうにもならないから、これからは。
自分がやりたいと思うものを。自分の手でやり遂げたいと思うものを。
そしてなくさないように持ち続けるための北極星を。
見つける。今からだって遅くない。
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