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【読書感想】『俺たちの箱根駅伝』(池井戸潤)

池井戸潤さんの最新長編作『俺たちの箱根駅伝』
一人の箱根駅伝ファンとして、刊行を心待ちにしていた。

関東学生連合チームとテレビ局の二つの柱からなる物語構成。
その臨場感やリアリティに瞬く間に魅了されてしまった。

だからこそ、読書感想記を書いてみることにした......のだが、感想記というよりは、実際の箱根駅伝も面白いよ!という箱根駅伝推しの記事となってしまった。
その点をご理解の上、読んでいただきたい。

関東学生連合の立ち位置について

本作において、競技者側の視点は、主に関東学生連合チームから描かれている。

関東学生連合チームは、箱根駅伝予選会を通過しなかったチームの中から、速いタイムを出した選手16名で構成される。
ただし、各大学1名ずつ、箱根本選を一度でも経験した者は選考対象とならないといった制約も存在する。

そのため、予選会出場した選手を起用して、最強のチームを作ろう!というコンセプトではない。
あくまで、箱根の経験を自チームに持ち帰るということに重きが置かれている。
加えて、本戦での順位や個人成績も正式記録とはならず、あくまでも参考記録としてしか扱われない。

そうした事情もあってか、箱根駅伝本線では、上位進出する機会も少なく、復路では繰り上げスタートの対象となることもある。
第91〜99回大会の学連チームの順位推移を見てみると、19→11→20→21→21→19→20→14→20と、シード圏争いにも絡めていない現状がある。

本作では、そんな現状を揶揄して、出場することにすら懐疑的な目が向けられ、上位進出を掲げる学生連合チームは一笑に付される有様である。

だが、走ることにも意味はある。
作中でも、学生連合チームの一員として走るメンバーには、
・学費を捻出してくれて家族への恩返しのため
・自分をこれまで支えてくれた恩師のため
といった走る目的が描かれる。

そこに、記録の残らない寄せ集めチームだから、といった理屈は存在しない。

本作は、どうせ小説用に脚色したフィクションでしょ、と思うかもしれない。
だが、現実でも学生連合チームにスポットライトが当てられたケースは存在する。

○第99回大会【1区】新田颯(育英大)

直近の箱根駅伝で、学生連合チームが一番クローズアップされたのは、第99回大会だろう。
1区がスタートしてからスローなペースが続く中、一人飛び出したのが、学生連合の1区を任された新田選手。

育英大として初めて箱根路を走った新田選手。
一人飛び出すと襷を渡す直前まで、先頭を走り続けた。

優勝候補ではなく、誰からもマークされなかったからこそ出来た一人旅。
あまりにもセンセーショナルな出来事に、育英大学のホームページはサーバー落ちする事態に。

彼は大学で競技を引退したが、自動車の営業職をしながら、市民ランナーや子どもたちに、陸上の楽しさや結果を出したときの喜びを伝えていきたいと語っている。

○第93回大会【4区】小山直城(東京農業大)

小山選手は、今年のパリ五輪のマラソン代表選手。
だが、彼もまた自分のチームで箱根駅伝に出場したことはなく、学生連合での出走が一度あるだけ。

それでも、箱根駅伝にチームとして出られなかった悔しさをバネに、実業団でも競技を続け、パリ五輪に内定したという経歴。

こうした選手が活躍する場となるのも、学生連合チームならではと言える。

箱根駅伝はメンタルが7割

本作で、関東学生連合を率いる甲斐監督が選手に語る言葉がある。

トラック競技の記録は、一次元。その日の天候やコンディションが加わって二次元。選手の体調とメンタルが加わって三改元ーつまり現実になる

本書上巻337頁 

そして、結果を左右するのはメンタルが7割だという。
ただ、タイムを持っているだけでも、その力を発揮できるとは限らない。

作中でも、好走する学生連合の選手には、それを裏付けするかのようなメンタルやバックボーンがある。

そして、裏を返せば、メンタルから崩れ落ちてしまう選手もいる。
作中でも、声かけ一つで走りを崩してしまう選手が描かれている。
現実でも、OBや外野からの心無い声に押し潰されてしまう選手はいる。

私が推している(た)選手が、こんなことを呟いている。

宍倉健浩(早実→早大→JR東日本)さんのpost(スクショですみません。。)

箱根駅伝を走る選手は、あくまで学生。
それが、心無い声を浴びせられたりしたら、調子を崩してしまうのは、考えればすぐわかること。

一方で、メンタル面の強さを感じさせた選手もいる。
特に印象深いのは、城西大学で3度の箱根路を経験した石田亮選手。
2年生の時に、8区を出走したものの低血糖症に陥り、途中棄権。
陸上を続けることを諦めようかと思うほど、悩み込んだという。

しかし、その翌年、7区にエントリー。
区間2位の走りを見せ、城西大学初のシード権の立役者となった。

この走りは、敵将である青山学院大の原晋監督も絶賛している。

監督と選手の関係性、区間への適正

箱根駅伝では、高低差や距離、気象条件といった要素が複雑に絡み合う。
それに加えて、襷をもらった位置によっても選手のモチベーションは変わりうる。

そんな中で、誰をどの区間に配置するかというのは、非常に悩ましい。

作中でも、甲斐監督は走りだけでなく、選手の性格や振る舞いを見て、起用区間を決めていく。

「個性は、どう使うかです。本人が最大限の力を発揮できるタイミングで起用してやれば期待以上のものが出てくるかもしれない」

本書上巻348頁

と作中でも触れられているが、実際の箱根駅伝でも、いろいろな要素から起用区間が決められていくという。

東洋大学の酒井俊幸監督は、第90回大会に絶対的なエース設楽啓太選手(当時4年)を、これまで配置したことのない山登り5区に配置した。
そして双子の弟・悠太選手も3区、将来のエース候補であった服部勇馬選手(当時2年)を2区に起用し、往路に主力選手を投入する采配を行った。

この配置について酒井監督は自著でこのように語っている。

私が設楽兄弟を往路に起用したのは、出雲駅伝、全日本大学駅伝で共に2位と勝てない大会が続き、「箱根駅伝だけは絶対に譲れない」という思いがあったからです。
強いメッセージがなければ、選手たちの心には響かないのです。

『怯まず前へ』(酒井俊幸/ポプラ社)104頁

監督の強い意志が区間配置に表れることもあるのだと感じさせられる。

そして、作中でも悪天候の中、快速する選手が描かれている。
実際の箱根駅伝でも、「強風」は大きな敵となる。
たとえば、箱根山中に吹く風であったり、東京のオフィス群から吹き込むビル風であったり。

第89回大会では、強風をものともせず山を登った日本体育大学の服部翔太選手(当時3年/現・立正大学陸上競技部駅伝監督)が、区間賞を獲得して、総合優勝に導いた。

翌年の90回大会では、東京のビル風に負けずに10区の区間記録に迫る走りをした東洋大学の大津顕杜選手(当時4年)が、大会MVPを獲得している。
特に大津選手は、大会直前まで調子が上がらなかったという。
しかし、ビル風の影響を受けにくい走りをしていると、酒井監督が判断したからこそ生まれた結果だった。

ほかにも、区間配置が成功したケースは数多い(特に、青山学院大の原監督なんかは。。)

あまり書きすぎると長文になってしまうので省略するが、区間配置はそれだけ面白みのある要素だということが伝われば幸いである。

テレビ局×箱根駅伝

本作では、選手だけでなく、テレビ局側にも焦点が当てられている。

箱根駅伝を放送するための分厚いマニュアル本が存在するほど、社運を握るほどの化け物コンテンツ。

箱根駅伝放送当時のプロデューサーが語る「テレビが学生スポーツを変えてはいけない」という精神が、今もテレビ局の中にはあるという。

だからこそ、
・選手の襷リレーは絶対にテレビに映す
・選手の名前は絶対に読み上げる
といった部分は、いつの時代も変わらない。

そのためには、全21チーム×エントリー選手16名の336人の情報を、テレビ局側も抑えておく必要がある。
監督やコーチも含めたら400人近くになるだろうか。

どこかの記事で、マラソンだと多くても数十人の情報を把握していればいいが、何が起きるかわからない箱根駅伝だと、必要になる情報が多く、把握するための労力も段違いになる、と目にした記憶がある。

第97回大会では、最終10区の途中まで創価大学が逃げ続けていた(結果は準優勝)。
下馬評でも、シード権は獲得するだろうが、優勝争いまでは、、と言われていたと認識している。
それでも、選手一人一人の情報を漏らさず、的確に実況が語っていたのは、日テレの努力の賜なのだろう。

そして、箱根駅伝では、数多くのスポンサーに支えられている。
サッポロビールであったり、讀賣新聞社であったり。

そのため、CMを適当なタイミングに入れる必要があるのだが、CM中に首位交代なんかが起きた日には、テレビ局にはクレームが殺到することは避けられない。
私だって、そんなことが起きようものなら、Xで批判を呟いてしまう。

本作でも、復路の終盤でCMを入れたディレクションの臨場感が描写されている。

CMが終了して中継が再開されたとたん、副調整室内にいるスタッフが一斉にもらした安堵のため息が聞こえるかのようであった。

「心臓に悪いな、こりゃ」
黒石までが、胸のあたりを手でさすっている。「こんな網渡りみたいなこと、いつもしてるのか」
「いつもやってたら、命がいくつあっても足りねえよ」自身安堵の吐息を洩らしながら、北村が応じる。
「だが、最高のCMじゃないか」
そんなことを黒石がいった。「これなら視聴者の誰も席を立てないだろうからな」

本書下巻294-295頁

レースの盛り上がるタイミングでCMが入ったとしても、CMの本数が多いと感じたとしてもなるべくテレビ局への文句は言わないようにしよう。
テレビ局も頑張っているんだから、、と考えるようにしたい(自戒)

おわりに

本作では、関東学生連合に焦点が当てられているが、実は今年に開催された第100回大会では、学生連合は出場しなかった。

そして第101回大会以降も、学生連合チームの編成可否は未定となっている。

これまで、学生連合チームが多くの名選手誕生の足がかりになっていることや、多くの大学に箱根駅伝への門戸を開いてきたことを踏まえると、寂しさを感じる。

一人の箱根駅伝ファンとして、ぜひ学生連合チームは存続してほしいと願うばかりだ。

箱根駅伝に関する本を読みたい人は

こんな本もあるので、興味があれば読んでみると、箱根駅伝のことがもっと好きになるはず。

自分のチームで箱根駅伝シード権獲得を目指す選手たちのお話。
箱根駅伝小説の中でも1,2を争う名作。

『俺たちの箱根駅伝』と同じく、関東学生連合チームで箱根駅伝の優勝を目指すお話。
『俺たちの箱根駅伝』が好きなら、こっちも楽しく読めるはず。

箱根駅伝を舞台としていながら、テレビ局×選手×警察小説という濃い作品。
大学名が実名だったりと、作者の箱根駅伝愛がすごい作品。

箱根駅伝を語らせたら右に出る人はいないのが、生島淳さん。
リアルストーリーを知りたいなら、この本は必読。

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