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仏説摩訶般若波羅蜜多心経

これからしばらくは、「般若心経」の本文をひとつひとつ観ていくことにしましょう。


仏説摩訶般若波羅蜜多心経

「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」は、訳すと『仏が説かれる、大いなる悟りの世界に行くための智恵の真髄』となります。

「摩訶」は、摩訶不思議の「摩訶」。サンスクリット語で『大きな』という意味です。
その次にある「般若波羅蜜多」もサンスクリット語で、音を漢字に当てはめただけ。
般若・・・智恵
波羅蜜多・・・

波羅蜜とは、仏になるために菩薩が行う修行のこと。六波羅蜜と十波羅蜜がある。

(Wikipedia調べ)

仏教では、智恵とその実践とが揃って初めて『ことが成る』のです。
正しい思考を身につけ、それに基づく正しい行いを実践していれば、生きながらにして「大いなる安らぎの世界に至れる」・・・それこそが、私たちが仏教を学ぶ意味なのです!

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時

語り部は、観自在菩薩=観音さまです。その傍らにお釈迦様の直弟子のシャーリープトラさんがいて、その人に語りかける。(これは、「色即是空は四字熟語じゃない!」でお話ししましたね。)

「菩薩」は、もうすでに智恵を会得していて、「仏陀」にもなろうと思えばなれるのに、なおも自ら修行を続けながら、全ての人を救うために教えを説き続ける存在です。

特に観音さまは、人々を救済するために、いろいろな姿になるとされ、たくさん手を持ったり、女性になったり、病人には医者として接し、子供には母として接する・・・と言われています。

もともと女性だという説や、それは昔の『女性蔑視』から抜け出すために作られたという説もあるようです。

そもそも地球上の生命体は、何故ほとんど雌雄しゆうが別れるように進化してきたのか?
私には、そのことがずっと謎でした。でも、この記事を書くために調べ物をしている時に、ふと思いついた。

雌雄同体の生き物で、高度に進化している者はない!

縄張りを守る者と、子供の面倒を見る者が別々のほうが、効率よく子孫を残してきたのではないだろうか?そうだとしたら、雌雄が別れているのは『役割分担』のためではないだろうか。
『役割分担』ならば、そこには優劣などあろうはずがない。・・・と。

女性は悟りを開けない、なんてことは決して無いはずです!
観音さまだって、本当に女性だったとしても不思議でも何でもないことになりますね。

観自在菩薩という呼称

「般若心経」の中では、観音さまは「観自在菩薩」と呼ばれます。観音さまには、33個も呼び名があって、観自在菩薩もその1つです。

『自由』には『不自由』という対義語がありますが、『自在』には対義語はありません。まさに何ものにも束縛されないという意味が込められているのです。


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