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①大人への不信感【誕生~小学生時代】

自分の人生を振り返り、書き起こして客観的に見てみようと思い立ち
幼少期から辿ってみる事にした。
長くなるのでぼちぼちと更新予定。

私は昭和40年代、自営業を営む両親の元に産まれた。
私の中で一番古い記憶は、恐らく3歳頃のもの。
それは自営業を営む自宅前の、小さな路地で遊んでいる自分。
両親にとって初めての子育てだったからか、私はトイレトレーニングが順調ではなかったようだ。
小さな路地で座り込み、遊んでいるように見せかけつつ、立派なうんちをパンツの中にこんもりと落とす常習犯だった。
両親は「またおもらしした~!」と思っていたようだが、私は完全に確信犯だったとしっかり記憶している。

同じ年齢の子が上手にトイレで事を済ませていた頃、私は路地で気持ちよく事を済ませる。
場所が違うに過ぎないとは言え、実際両親にとっては大違いだったろうよ。



小学校に入学して、最初にぶつかった問題は給食。
私は皆の食べるスピードに、全くついていけなかった。
全員が食べ終わり、机を戻して掃除が始まっても、私一人だけが給食と向き合う毎日。
今思えば遅いんじゃなくて、それだけの量を食べられなかっただけだ。

先生からの呼び出しにより母は娘の不出来を知る事となり、家族で囲む夕食の時間は、母の黄色い声が飛ぶ訓練の場となった。
その甲斐あってか、2学期には何とか時間内に食べ終える事が出来るようになったが、母の訓練のたまものである【早食い】は私の顎の形成に大変影響することとなり、何本か抜いたのにも関わらず歯並びは最悪だ。

歯科医に指摘された時母は「ちゃんと噛んで食べないからよ」とサラッと言っていた事が、今も記憶に残る。


高学年になる頃に、私はとても【気の強い】女子へ成長していた。
先生の言動の矛盾を突いてみたり、反抗心を顔面で表現してみたり、とまぁ可愛いとは言い難い子供だったに違いない。

ある時、家庭科の先生に対して反抗的な態度を取ったと、担任から叱られた。
その流れで担任が”私のような”子供には、言ってはいけない言葉を言い放ってしまった。

「先生の言う通りにちゃんと従いなさい」
私の怒りは頂点に達し、ここぞとばかりに言い返す。
そもそも家庭科の先生の言動に矛盾や理不尽さを感じてのふてくされだったのだから、従いたくなどない。

「先生が間違っていたとしても、それでも従わないといけないのですか」
先生は言う「そうです、先生の言う通りにしていればいいの!」
カッチーン!

私はこんなのおかしい!と、黙ってられず家庭科の先生の元へ走った。
すると家庭科の先生は、意外にもまともな回答をくれたので拍子抜けしたのを覚えている。
「先生でも間違っている場合は、それに従う必要はない」「私から担任に話しておく」と。


当たり前と言えば当たり前の事だが、その頃の私にはこう映った。
あぁ、大人でも子供の言い分を認めてくれる場合があるんだ。

その日の放課後
家庭科の先生からのフィードバックを受けた担任が、教室でシクシクと泣いていた。
子供には偉そうに言っといて、自分が注意されたら泣くんかい。


同じ頃私は近所のバレーボールチームに所属していたが、別に好きで習っていた訳ではなく、大好きな近所のお姉ちゃんのマネをしたに過ぎず、自分にボールが飛んでくるのが怖くてたまらなかったのだから上手くなるはずもなかった。

そもそも私はとても運動神経が悪く、体育の時間が大嫌いだった。
小学校入学時から運動会のかけっこでは、ずっとビリをキープ。

クラスで私一人だけ逆上がりが出来なかった時には、母にけしかけられた父が早朝の公園で練習に付き合ってくれた。
あの時出来るようになったのかは覚えていないが、父と練習した事はよく覚えている。

こうやって改めて思い出してみると、私は人生の初っ端から
【出来の悪い娘】の欠片を一つまた一つと集めていたんじゃないかな。
もう少し賢く生きられたら色々と違ったかも知れないのに。

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少しづつ書いていきますのでどうぞよろしくお願いします。



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