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両親への想い 2

前に『両親への想い』を書いてから
もう1ヶ月。
あの記事を書いたあと、両親にも会いに行ったし、
その後のゴールデンウィーク中も、東京にいる娘が帰ってきて、娘と一緒に実家へ行ってきたり…
色々書きたいことがあるけど、順番に書いていきます。

4月中旬、車で3時間30分の実家へ
両親に会いに行き、3日間すごしてきた。

実家に着くと母は『よく来たね!疲れたよね、何時間も運転してきたんだから』
と…
それから、10分くらいの間に何度も何度も聞く。
その度に『大丈夫だよ』と答える。
これは、いつものこと

3日間、両親を買い物に乗せて行ったり、一緒に野球を見たり、テレビをみて意見を言い合ったり、
笑ったり、料理を作ったり、話をしたり…
母が化粧品を使う順番が、わからないと言っていたので、順番を化粧品に書いて、メモ紙にも順番を書いておいた。

父の兄弟が遊びに来て楽しかった話をしてくれたり、近所の母の友達が、よく遊びに来てくれるようで、友達との楽しい会話を話してくれたり、母と一緒に近くの温泉にも行ってきた(温泉に行く時は、父は留守番)
穏やかな時間を過ごせたと思う。
たくさん笑って、たくさん話した。

そして、父と2人で話もした

初めて、父に
私が住むところに来てくれたら、一緒に暮らしたい
と思っていること。
だけど、高齢の両親にとって、知り合いもいない、新しい土地で暮らす事がとても大変なのは充分に理解できるので、無理に勧める事はできないと考えていること。
私が実家に帰ってくるのは仕事の面でも、
今は難しいと思っていること。
だけど、父のことも母のことも、大切に思ってること。
父だけに、母のことを任せてしまっていたけど、
これからは、私も一緒に考えていきたい。
できることなら、本当は一緒に暮らしたい。
そういう思いを父に伝えた。

父は、心配しないで大丈夫だと言った。
自分が生きてる限り、ちゃんとお母さんの面倒はみれるからと…
話をする父の顔や言葉には強い決意がみえた。
そして父は、今は自分達の心配などしなくていいし、なんとかなるから、私には自分の生活を考えてほしいと言った。
ただ、もしも自分が先にこの世を去る事になったら…
私が働きながら母と生活することは無理だから
その時には、兄と相談して母を施設に入れてほしいと思ってる
と言った。

89歳の父が、この2年間
どれだけ悩んで、考えて
この決心をしたんだろう。
自分が生きている限りは、誰にも迷惑をかけずに、一人で母の世話をすると決めていた。
その決心をするまでは、きっと心細くて、不安で、心配で、眠れない日もあったと思う。

母のことをどうしたらいいか…
もちろん私も心配だったけど、今までは、両親と
将来のことを、話し合ったことはなかった。

私は…自分の事で精一杯
離婚するか、しないか
その事で、何年も前から頭がいっぱいだった。

そして、そのことを、1人でかかえこんでいた。
母のことを心配しながらも、私には気持ちの余裕など全くなくて、父に任せっきりだった。


父の気持ちを考えると、胸が一杯になった

そして、私は何をしていたのだろう?

両親のことを思いやったり、これからのことを話しあったり、そんなことは何もしないでいた。

この2年間のダメな自分を後悔
いや、2年間だけじゃなく、もっと前から私はダメだったと思う。
でも、いくら後悔しても、
時間を巻き戻すことはできない。
やり直すことなど、できない。

じゃあ私にできることは、なんだろう?

今と、これからを
後悔することないように
やれることをやる。
そんな想いを再確認しながら帰ってきた。

もう同じ間違えをしないように
もう後悔しないように

考えてばかりだけど

ほんの少しでいいから
前を向いて進んでいかなければ!

1日1日を大切に生きなければ!

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