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はかない男1〜三回忌がくる〜

生きているときは何かと家族に迷惑をかけてくれていた父がこの世を去ってもうすぐ2年。晩年こそ穏やかになって、猫と娘と孫とひ孫に囲まれて、大正琴を弾いたり切り絵をしたり、韓国ドラマを見たりして過ごす静かな日々だったが、若い頃はお金の問題とかなんやかやで長女のわたしはきつかった。「くそじじい」と思ったことも一度や二度ではない。

いなくなってもしかしたらほっとしたりもするのかなと思ったが、意外や意外、未だにびっくりするくらい寂しい。それは家族の誰もが同じように感じているようで、父に似たおじいさんの目撃情報や遠くからこっそり撮った後ろ姿の写真をグループラインで共有してみんなで涙ぐんだりしている。

そのぜんぜん知らない、父に似たおじいさんは通りに時々現れる。多分家が近いのだろう。どこのどなたか知らないが、父とは体型も髪型も似ていれば、着ている服(ジャージ)やキャップのコーディネートもそっくりで、おまけにセニアカー(電動車椅子)までおんなじなのだ。見かける度に心で手を合わせて、おじいさんに幸あれと祈る。どうぞ長生きをしてくださいね。

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       ↑これは父のほう

さて、父の三回忌がやってくる。去年は一周忌だったのに、今年は三回忌だ。二は?二周忌/二回忌はどこへ行ったの?ネットで調べたらどうやら二周忌というのはないらしい。一の次は三、ネットの説明はどれも長いが、要はそういう風に決まっているということ以上にはわからなかった。

ともかく、父にはまだ墓がない。墓ない男である。次男なので寺にある本家の墓へというわけにはいかない。墓所(墓土地)はずいぶん前に買ってあった。忘れもしない2004年、わたしの「情熱大陸」特需で、まとまった印税が入った時に父に買ってと頼まれたのだった。当時父と母は既に離婚していたので、松江市の公園墓地の墓所を二カ所買った。隣同士は嫌だと母が言ったので(もー)、少し離れた区画に二つ買った。

父が亡くなった直後は葬儀のあれこれのお金を捻出するのが精一杯で、墓石まで用意する余裕がなかった。それに、墓所を買っておいてなんだが、そもそも墓を持つか、ということについても家族の意見をまとめていなかった。

墓って守っていくものだから、子供や孫たち、あとに続く者のことも考えなければならない。海に灰をまくことや、樹木葬や、永代供養など、他の選択肢についても考えてみなければならない。「エンディングノート」というドキュメンタリー映画では、死を目前にしたお父さんが洗礼を受けてクリスチャンになって、残された家族に負担がかからないように配慮していた。

お父ちゃんもクリスチャンになればよかったのに。と1秒思ったが、柄ではない気がしたのでその考えは却下。結局一周忌までに墓をどうするか決められなかった。骨は妹の家の仏壇の下のキャビネットの中に置いたまま。「わし、こんなのやだわ」という父の声が聞こえてくるようで焦る。

お寺さんに聞くと「三回忌に用意される方も多いですよ」そうだ。急に海にまいたって、海の男でもないのに。父も海の底で「は?なんで海?」ってびっくりすることだろう。樹木葬のパンフレットを取り寄せてもみたが、なんだかぴんと来ず、わたしの中ではばくぜんと「墓石を買って普通のお墓を立てた方がいい」に500点という雰囲気になっていた。(「はかない男2」につづく)

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     ↑書き初め。「動く」ってなに。

一週間に一度くらいの頻度で記事をアップできればと思っています。どうぞよろしくお願いします。