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ワイルダー映画の名ゼリフが教える「笑いに禁忌(タブー)はいらない」。


【繰り返された「幻の東京五輪」】

 

1964年の東京オリンピックがいかに多くのレジェンドを生んだか。この、おそらく空前絶後の国家的イベントを境に、日本という国がいかに大きく変わったか、当時の国民的盛り上がり、熱気がいかに凄いものであったのか。

そのことは、いちいちここに書き記しません。すでに多くの人が語っていることですし、無数の書籍・資料が伝えていますから。

較べて2021年に無観客で行なわれた東京オリンピックって、一体何だったのでしょうか。

正確に言うと北海道、宮城、茨城、静岡で行なわれた競技には観客もいました(言い出しっぺ=提唱者だった当時の東京都知事石原慎太郎さんは「コンパクト五輪」と言ってたんですけどね、どこが?)。ですが第一生命経済研究所首席エコノミストの永濱利廣さんも、その経済効果を註釈なしで〈無観客五輪〉という前提に立って解説しておられるくらいですから、まあ無観客と言ってしまって強(あなが)ち間違いではないでしょう。

延期にも関わらず「東京2020」のキャッチフレーズが使われ続けた理由は知っていますが、その理由が子どもには理解困難な「大人の事情」だったのも、とてもトホホな感じが、私にはします。

全力で競い合ったアスリートの皆さんにはお気の毒と思いますが、私はこれを二度目の「幻の東京オリンピック」と呼びたいと思います。

一度目は、1936年のIOC総会で、1940年の東京での開催が決定していたのに、1937年の支那事変(今日いうところの日中戦争)勃発とその長期化のために、1938年の閣議で取り止めが決定された五輪大会のことです。

 この1940年のことは、現在ご存じない方のほうが多いかも知れませんが、二度目の「幻の東京五輪」は、今後も永く語り継がれることでしょう。開催のおよそ一年後に、その裏で黒いカネが動いていたことが、検察の摘発によって明らかとなったからです。

 

 

【「人類の最悪の犯罪」を笑いの対象にしてはならないのか?】

 

さて、昨年の東京オリンピック開会式の前日(!)にその演出担当が解任されたことは、多くの人がご記憶のことと思います。

理由はその頃から二十四年前に発売されたビデオソフト収録のコントの中で、当人がナチスによるユダヤ人虐殺をおふざけのネタにしていたことでした。

多くのマスコミやネット上の書き込みは、それを「笑いのネタ」と呼んでいましたが、私はそう呼んだことも完全に間違いだと思っています。そのフレーズたるや、まったく笑えないしろものだったからです。

ただ下品なだけで、何がおもしろいのかさっぱり分からない。ここに引用したくもありません。この人の「笑い」の才能を根本的に疑いたくもなりましたが、この一事をもって、それを全否定することは妥当ではないでしょう。万人が認める大小説家だって、とんでもない愚作を書いていた、なんてことは珍しくありませんから。

 この件について、ユダヤ人団体サイモンウィーゼンタールセンターのエイブラハム・クーパーさんは、こう糾弾しています。

「どれだけ創造的な人物であろうと、ナチスによる大量虐殺の犠牲者をあざ笑う権利はない」

 元東京都知事の舛添要一さんはこう非難していました。

「人類の最悪の犯罪を笑いの対象にしてはならない」

 この二人は同じことを言っていたと思われますか?

私はこの二つの発言の意味は、まったく違うと思います。

クーパーさんの発言は、まさしくそのとおりで、大量虐殺の犠牲者をあざ笑う権利など誰にもない、と思います。

 しかし、「人類の最悪の犯罪」であっても、笑いの対象にして良い、と私は思います。むしろそのような辛辣を極めた「笑い」こそが、真に優れた知的表現とさえ言い得る、と考えます。

 

 

【モンローのイメージを作った名監督】

 

マリリン・モンローとオードリー・ヘップバーン。

この二人の名を知らない人はまずいないでしょう。

「マリリン・モンロー」と聞いて、どんなイメージが思い浮かびますか?

 地下鉄の通風孔から噴き上がる風で大きくまくれ上がったスカートを手で押さえるシーン。そんな場面を想起される方は多いでしょう。

 あるいは、とても舌足らずなところが、かえって魅力いっぱいの独得の甘い歌声(『I Wanna Be Loved By You』という楽曲)を思い浮かべられる方も多いことと思います。

 そんなモンローのイメージを作ったのが、彼女が主演した映画『七年目の浮気』(一九五五年)、『お熱いのがお好き』(一九五九年)の監督(脚本家でもあります)のビリー・ワイルダー(一九〇六~二〇〇二)でした。ビジュアル・イメージは前者に、ヴォーカルのそれは後者に表現されています。

 なお、先に記した「大きくまくれ上がったスカートを手で押さえるシーン」は、実は映画の中には存在しません(ふわっとまくれ上がってはいるのですが、手で押さえたりはしていません)。世に知られているのは、作中では使われなかった宣伝用のスチール写真のイメージだったのですね。

 オードリー・ヘップバーンは二一世紀になっても雑誌の表紙やグラビアを飾ることが珍しくありませんが、その多くはワイルダー映画『麗しのサブリナ』(一九五四年)のショットやスチールを用いています(この作品についてはのちにまたふれます)。

 

 

【ホロコーストの被害者、ワイルダー】

 

 ワイルダーはオスカーを得ること七回というアカデミー賞史上第二位の最多受賞者です(第一位はウォルト・ディズニーの二六回。この人はまあ別格ですね)。監督賞、脚本賞、脚色賞の他に、プロデューサーとして作品賞も受賞しています。アーヴィング・タルバーグ賞(これもアカデミー賞の一部門です。「功労賞」のような意味合いの賞という理解でそう間違ってはいないと思います)の受賞者でもあります。

 ワイルダーはオーストリア生まれのユダヤ人です。高校卒業後、ドイツのベルリンで新聞記者になってから映画の脚本を手がけました。その後フランスのパリで監督デビューします。パリ移住はナチスの台頭を恐れたからです。その魔手からさらに逃れるために、ワイルダーはアメリカに亡命しました(彼は自分の性格について「私は目はしが利くからね」と語っています)。そしてハリウッドで映画作家として大成したわけです。

 ワイルダーの実母と義父、祖母はアウシュヴィッツの収容所で亡くなっています。

 ワイルダーは紛れもなくナチスのホロコーストの被害者のひとりです。

 

 

【ホロコーストを笑いのネタにしたワイルダー】

 

 ワイルダー晩年のインタビュー集(というよりも、「インタビュー」のかたちを保ったまま出版された本は彼の生涯でこれが唯一なのですが)に『ワイルダーならどうする? ビリー・ワイルダーとキャメロン・クロウとの対話』

(邦訳二〇〇一年キネマ旬報社刊、宮本貴晴訳、原題『CONVERSATIONS

WITH WILDER』)があります。インタビュアーのキャメロン・クロウは『ザ・エージェント』(一九九六年)などの作品がある映画監督です。

 その中にこんなやりとりが記されています(CCはキャメロン・クロウの、BW

はビリー・ワイルダーの略)

 

CC あなたの人生において鍵となる事件があって、それがあなたに創造上の刺激を与え続ける。そういうことはないのかなと思うのですが。

BW ひとつ前の映画よりもいいものを作ること。(ひと呼吸おいて)けれども、私の人生は、まあどちらかというと……一家の四分の三がアウシュヴィッツで灰になったことを別にすれば、まあそれほどね……。

 

この本の別のところでワイルダーは自身の実人生にふれて「映画と現実は違う」とも語っています。上のやりとりでワイルダーは、自分の実人生は映画のおもしろさを生むほどドラマチックなものではなかった、ということを語っているわけです。

それをそのまま言うのなら誰にでもできることですが、「一家の……」をつけ加えることで、そのシニシズム(冷笑主義)は私の心の内奥を深く突き刺す鋭いものになりました。そして私はクスリと笑いました。この上なく苦い笑いではありましたが。

ワイルダーは、明らかにホロコーストを笑いのネタにしました。

しかし彼は決して犠牲者をあざ笑ったりはしていません。ワイルダーにそんなことができるはずはありません。

ワイルダーは、自ら脚本を執筆し、監督した映画の中でも、このように「人類史的悲劇」をも笑いのネタにしています。

それも「ロマンティック・コメディ」と呼ばれるジャンルの作品で。

 

 

【大富豪家のプレイボーイを魅惑した美女は】

 

 すでにふれた『麗しのサブリナ』は、ニューヨークの大富豪ララビー家の兄弟と、オードリー演じるその家の運転手の娘(サブリナ・フェアチャイルド)との三角関係を描いたロマンティック・コメディです。

 同じ邸内で暮していたのですから、兄弟は当然サブリナのことはよく知っています。弟のデヴィッド(ウィリアム・ホールデン)は、少年少女時代にサブリナとローラースケートで遊んだりもしていました。

 成長したサブリナはデヴィッドに恋するようになりましたが、彼のほうはサブリナに見向きもしません。豪邸の庭園で行なわれるパーティーに出席していた、やはり上流階級の娘を巧みに口説きます。デヴィッドはハンサムなプレイボーイでそうしたことが大得意です。二度の離婚歴もありました。

 兄のライナスはデヴィッドのキスのうまさを「ヴァサー(当時全米屈指の名門女子大。一九六九年に共学となりました)で講義ができるくらい」と形容しています。ライナスを演じたのはハンフリー・ボガートでした。

 告白することもなく恋に破れたと思い込んだサブリナは、あることに失敗したのち、「世界一の料理学校」で学ぶため、パリに旅立ちます。

 二年後、オープンカーを運転していたデヴィッドは、ララビー家から遠くない駅の前で車を止めます。見たこともないシックでエレガントな装いの若い美女に目を奪われたからです。彼は送ろう、と言って彼女を助手席に乗せます。こうしたナンパのやり方は今の日本でもよくありますね。

 送り届けるつもりが自邸にまで着いてしまったデヴィッドは、一瞬キョトンとしましたが、女性は勝手にデヴィッドの車のクラクションを鳴らせました。すると居住棟から数人の使用人たちが飛び出してきました。口々に「サブリナ!」と彼女の帰国を歓ぶ声を上げながら。

 この女性はサブリナだったのです。

 まったくあか抜けない(イケてない)娘だったサブリナは、二年間のパリ生活で、まるで別人のように変身してしまったのです。

 デヴィッドはサブリナを熱烈に恋してしまいます。

 

 

【字幕では味わえなかった名ゼリフ】

 

 デヴィッドは恒例のパーティーにサブリナを招待します。ララビー家の庭園に現れたサブリナの美しさと洗練されたドレス姿に、出席していた若い男たちはみな息を呑んで見とれてしまいました。すぐに三人が彼女を囲みます。

 そんな連中を尻目に、デヴィッドはスマートな動きでサブリナの手を取ってダンスを始めます。

デヴィッドが運転手の娘サブリナに恋し、口説き始めたことを知った兄弟の父オリヴァー・ララビーは激怒しました。

 そしてデヴィッドを怒鳴りつけた言葉がこうでした。

「いいか、ララビー家のものがみんな立派な人間だったというわけではない。海賊を働いて首をくくられたトマス・ララビーがいたし、奴隷商人だったベンジャミン・ララビーもいた。わしの四代前の伯父に当るジョシュア・ララビーは列車強盗を働こうとしてインディアナで射殺された。だが、今夜のデヴィッド・ララビーのような行動をしたものは一人もいなかった!」

 これはもちろんコメディック(喜劇的)なセリフです。こんなコトバを現実に聞くことは、まあないと言って良いでしょう。私はこれを活字で読んで(映画の字幕にこのもの凄い早口の全文訳を書き込むことは不可能です)クスクスと笑ってしまいました。この巧みな表現には今でも唸ってしまいます。

ちなみに私が何を読んだのかと言うと、『キネマ旬報』一九五四年九月下旬号に翻訳掲載された『麗しのサブリナ』のシナリオです。古書店で買い求めました。著作権管理が現在では考えられないくらいユルかった当時は、結構こうしたことがあったのです。

私はワイルダー映画では、これの他に『第十七捕虜収容所』(一九五三年作品、『キネマ旬報』一九五四年三月上旬号掲載)、『翼よ! あれがパリの灯だ 』(一九五七年作品、『キネマ旬報・増刊 名作シナリオ集』一九五七年六月刊掲載)と『失われた週末』(一九四五年)のシナリオの邦訳を読んでいます。最後のひとつは雑誌に掲載されたものではなく、独立した冊子(単行本とは言い難いものです)として出版されたものですが、今では考えられないような粗悪な紙質、造本のものでした(しかし内容は滅法おもしろかった!)。

 

 

【異端者だからこそ光ったセンス】

 

父オリヴァーのセリフには、成り上り者であるアメリカの大財閥のいかがわしさを思いっきりからかうヨーロッパ人の視座を見て取ることができます。 

しかし、ワイルダーが例えばオーストリアの貴族出身だったら(そういう出自の映画監督はあり得ないことではありません。現にイタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティは大貴族の出身でした)、こんなセリフを生み出すことはなかったでしょう。

ざっくりと大雑把な表現をすると、アメリカの大ブルジョワが「傲慢尊大」だとしたらヨーロッパ貴族階級は「高踏的(こうとうてき)にして慇懃無礼(いんぎんぶれい)」だからです。

ワイルダーは、ヨーロッパ社会でも異端者であり続けたユダヤ人だったからこそ、このように鋭い皮肉の刃(やいば)がキラリと光るセリフを生み出せた。私はそう思っています。

 

 

【「最悪の犯罪」はナチスだけではない】

 

二〇二二年の現在でも、アメリカ社会の黒人(アフリカン・アメリカン)差別問題は解消されていません。

『麗しのサブリナ』が制作された一九五四年は、まさに黒人差別解消を目指す公民権運動が始まった頃。ということは、今では信じ難いような黒人差別があたり前のように行なわれていた時代であったわけです。しかし「奴隷制度が悪であった」という認識は、一部の狂信的差別主義者を除いて、アメリカ社会に共有されていた、と言って良いでしょう。

 アフリカ・アメリカ両大陸間で行なわれた奴隷貿易は、紛れもなく人類史的悲劇のひとつです。大西洋を運ばれた黒人奴隷たちがどのような扱いを受けたか? それはここに書き記したくはありません。『奴隷船の世界史』(布留川正博著/岩波新書)をお読みください。私に言えるのは「家畜のような扱いを受けた」というのは明らかに間違っている、ということです。放牧にしろ畜舎内にしろ、ウマでもウシでもヒツジでも、奴隷船内の黒人たちとは比べものにならないくらい大切に扱われてきました。

 奴隷貿易の犠牲者は一〇〇〇万人にも上ります。

 私は、これは間違いなく「人類の最悪の犯罪」のひとつだと思います。

 「最悪の犯罪」は、ナチスによるホロコーストが唯一ではなく、史上にいくつも存在するのです。

私は先祖が奴隷商人だったことを恥ともしないアメリカの大富豪を笑いました。

しかし奴隷貿易の犠牲者たちをあざ笑ったりはしていません。断じて。

「人類の最悪の犯罪」を笑いの対象にして何が悪いのですか。

 

 

【三谷幸喜さんと「ワイルダーならどうする?」】

 

 すでに示したとおり、『ワイルダーならどうする?』という邦題は、原題とは異なっています。

 ご自身がワイルダーのファンである翻訳の宮本さんが考案されたものでしょう。同好の士ならば、思わず微笑し嬉しくなってしまう気の利いたタイトルだと思います。

映画関連に限らず、翻訳書に原題と異なる邦題をつけた場合、「オイ、そりゃないだろ」と思うことが少なくありませんが、これは凡打やフライがあたり前の邦題の中で、希な大本塁打です。

 ただし、その意味合いが読み取れ、なおかつ思わず口許がほころんでしまうのは、ワイルダーの熱心なファンに限ったことです。

 税別で四七〇〇円と決して安価ではないこの本が、特定層をターゲットにマーケティングされていたことが分かります。

 この邦題は、ワイルダーが仕事部屋に掲げていた紙の文字「ルビッチならどうする?」をもじったものなのです。

 ワイルダーはシナリオ書きに行き詰まったとき、それを見て心のエンジンをかけ、アイデアを練っていました。

 ルビッチ(エルンスト・ルビッチ/一八九二~一九四七)とは、ワイルダーが師と仰いだ映画監督のことです

『ワイルダーならどうする?』の中で、彼はルビッチのことをこう述べています。

「私はルビッチを崇拝する。人間としても大好きだし、アーティストとしても。」

彼がウイットもヒネリもなく、このように真情を吐露したのは大冊『ワイルダーならどうする?』の中で、唯一この箇所のみです。

ちなみにルビッチもユダヤ人でした。

『ワイルダーならどうする?』の刊行後、ワイルダーのファンである三谷幸喜さんはワイルダーの事務所を訪ね、厚紙にワイルダーの直筆で「ワイルダーならどうする?」と書いてもらいました。

『鎌倉殿の13人』も、きっとこの言葉を見ながら書かれているのでしょう。

この大河ドラマに「ここまでやるか」と思わせるほどの強烈な人物造形と、思わず「フフッ」と笑ってしまうおかしさが併存しているあたりには、ワイルダーの影響がある、と私は思っています。

 

 

【伝説の大女優が主演した名作『ニノチカ』】

 

 ワイルダーが映画史上のベストテンに挙げたルビッチ作品に『ニノチカ』(一九三九年)があります。

 この映画には、ワイルダー自身が脚本作り(原作があったので正確には脚色)に参画していました。他に共同執筆者が二人います。なお、クレジットにはないのですが『ワイルダーならどうする?』のワイルダーの証言によると、ルビッチは明らかに常にシナリオ作りに加わっていた人でした。

 シナリオの名職人だったワイルダーが後年監督の仕事を再開したのは、自らが書いた脚本を無理解な監督たちが勝手に改変することに耐えられなくなったからです。ワイルダーは監督として名を成したのちも、自らのアイデンティティーを生涯「脚本家」に置いていました。

『ニノチカ』のタイトルは、ヒロインの名です。彼女は「冷徹」という言葉を人間のかたちにしたようなソビエト共産党のガチガチのエリート党員でしたが、使命によって訪れたパリで伯爵に恋してしまい…という物語でした。

 ニノチカを演じたのは伝説の大女優グレタ・ガルボでした。

松任谷由実さんの作詞家名「呉田軽穂」は、この名にちなんだものですね。

 

 

【「串刺しにする」ユーモアの鋭さ】

 

 この映画の中にはニノチカが言うこのようなセリフがありました。

「大衆裁判は成功だった。無駄なロシア人は減っていくわ」

 石像のように端整な美女がニコリともせず発したこの言葉に、VHSビデオで観ていた私は、思わず「わはは」と声をあげて笑ってしまいました。

「このような」と書いたのは、上の字幕は現在私がもっているDVD(製造元:株式会社トーン/発売年不詳)によるもので、初見だったレンタルビデオは少し違う表現をしていた記憶があるからです。

 エビデンスはまったくないのですが、私はこのセリフはワイルダーが書いたものだと信じています。けれども他人(ひと)様にこの考えを押しつけるつもりはありません(て言うか、鵜呑みにしないでくださいね)。

 ルビッチを師と仰いだワイルダーですが、「作風」という観点からいうと、二人の創った映画はまったく似ていません。

『ワイルダーならどうする?』の中で、キャメロン・クロウはワイルダーの才能について「人間の暗部をえぐり出し鋭いユーモアで串刺しにする」と述べています。簡潔にして適評だと思います。

 ルビッチの映画の基調にあるのは陽性の人間肯定感です。彼の映画はワイルダー作品のようにトガッてはいません(この点は『ニノチカ』も例外ではありません)。

ルビッチ喜劇からワイルダー喜劇のような爆笑が得られるのは、まずないことです。

 しかし、ルビッチの映画には、ワイルダーがいかに憧れようともついに身に着けることができなかった、至極の洒脱さや演出の流麗なエレガントさという素晴らしい美点があります。

 

 

【「笑い」を武器とするということ】

 

 先のニノチカのセリフは、ボルシェビズム(ソ連の共産主義)による大量粛清を語ったものです。この粛清とは、強制収容と虐殺(と言って差しつかえないと思います)のことです。それは映画中のフィクションではなく、史実です。

 作家・ジャーナリストの日垣隆さんは、「レーニンや金日成を『父』として崇た国々では、子が親を、妻が夫を、秘密警察に売り渡し強制収容所に死体を累々と積み上げた。その量と質と国家数のすべてにおいてナチスのユダヤ人虐殺の比ではない」と述べ、「共産主義はナチス以上の極悪非道」と断じておられます(『敢闘言 さらば偽善者たち』太田出版1999年刊)。

 ここに述べられたような犠牲者の総数は現在も確定しておらず(その点はナチスによるホロコーストも同様です)、またお分かりのとおり日垣さんの論点は「量」に限定されたものではありません。時間的スパン、非道な虐政の元凶(最高指導者)がひとりか複数かといったことや、個々の国情・地域差なども考慮の必要があるでしょうから、この説の当否を語るには、私はあまりにも無知です。

しかし、共産主義国家によって行なわれてきた虐殺が、やはり人類の最悪の犯罪であることには、疑念の余地がありません。

 私はそうした犯罪を生むボルシェビズムを狂信する氷のような美女の(見事な喜劇的デフォルメを加えられた)言葉を笑いました。

 しかし、粛清の犠牲者たちをあざ笑ったりはしてはいません。

 

 

【聖域もタブーもなき「笑い」を望む】

 

 私の主張は、すでに明らかにしているとおりです。

 この世には「笑ってはならない立場の人(たち)」は明らかに存在します(これは、この世だけではなく、あの世も含めてのことですね)。

 しかし「笑ってはならないコト」などないのです。何ひとつ。

「人類の最悪の犯罪」であっても、笑いの対象にして良いのです。

 家族の殺害であれ、大量虐殺であれ(あるいは不当な差別であれ)、悪を憎み憤る心は、正しいものです。

ですが、憎悪と憤怒に心をひたし続けていると、人は自らを「正義」の高みに置いて内省の視点を失いがちになります。そうなった人たちが、自分が敵視する(または立場や意見を異にする)人たちを即ち「悪」であると断じる短絡思考に陥るのは、希なことではありません。

 そのような〈正義感〉が、新たな巨悪を生んできた事実については、歴史を繙(ひもと)くまでもないでしょう。

 優れた「笑い」は、ものごとを多面的に見る視点を私たちに与えてくれます。人間は、すべて矛盾にみちた存在である、という真実をあらためて教えてくれます。

 その意味において、「笑ってはならない聖域」など設けてはなりません。

 笑いにタブー(禁忌)などあってはならないのです。ただし、品位は必要です(「品位は絶対の必要条件なのか、品位をかなぐり捨てるからこそできる表現もあるのではないか」という反論は成り立ち得るのですが、その問題につきましては、とりあえず本稿では措きます)。

 そうした最も優れた知的表現を私たちから奪う、タブー(禁忌)を当然視することに、私は反対します。


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