見出し画像

「死」について想うこと

死生観のお話、というのを始めて今年で9年目になります。

各地に呼んでいただいて、ありがたく思っています。

「死」が連想させるのは、多くの場合、人生の終末期。

存在も、記憶も消えてしまう恐れ。。。

いつ訪れるかわからない恐れ。。。

どんなふうに訪れるのかわからない恐れ。。。

恐れ、恐れ、恐れ。。。。


私自身に恐れが全くないかと言えば、嘘になります。

経験がないから、多少の不安もあります。


でも。


死は終末期だけでなく、今日も私の体の中で

一体どれだけの細胞が死に、常在微生物たちが死んでいったでしょう。


古くなった細胞や、傷ついたり異常事態になっている細胞や

がん化した細胞は今日も死んでいます。


アポトーシス、という言葉を聞いたことがあると思います。


すべての細胞が持っている、生まれながらにして組み込まれた仕組みであり

私たちの体の組織を良い状態に保つために必須のプログラムなんです。


私たちは常に死んでる。

なぜか。

それは、生きるため、生かすため。


古くなった細胞や、がん化した細胞がいつまでも残っていたら

生きることが難しくなってくる。

だから、「生かすために」「死んでいる」が

私たちの体で常に繰り返されているんです。


そもそも、私たちが始まった時


何億と放たれた精子たちは1つを残して全て死にます。

排卵のために卵子を守っていたたくさんの卵胞細胞は

卵管で卵子を送り出した後で全て死にます。

あらかじめ組み込まれているプログラム通りに。

そうでないと、受精ができないから。

新しい命を作れないから。


母体は、胎盤を作り、臍帯を作ります。

でも、私たちが生まれた時、胎盤は死に、臍帯も死にます。

これらが生きていては、赤ちゃんはこの世界で

生きられない。

死んで送り出してくれているんですよね。


私たちは始まった時から、死によって生かされてる。


いつか、最大のアポトーシス

「死」を迎える日がきます。


30年後かもしれないし

今日かもしれない。


でも、私全体の「死」という最大のアポトーシスが

「無意味」であるはずはないと想うのです。


この「死」によって始まる

「生きる」がきっとある。


この世界でまだ先を生きる人たちに

私が生きて育んだものを遺しながら


まだ見たことのない死の先には

私たちが次に「生きる」世界が

広がっているのかもしれません。


病原性微生物だけが、私たちの寿命を握ってないです。


明日死ぬかもよ。


だからこそ

今日死にながら今日の私を生かしてくれている

私自身にしっかりと

楽しさや、幸せや、安らぎや、喜びを

経験させてあげましょう。


同じように、目の前に、今生きてくれている人たちと

楽しさや、幸せや、安らぎや、喜びを

共有していきましょう。


今日伝えたいことを伝え

眼差しを向けて微笑んで。

優しく触れて、ハグして。

そうやって、最大のアポトーシスが訪れる日まで

一緒に生きていきましょう。


きっと大丈夫。ちゃんと死ねるから。

予行練習は、今日も体で行ってるから。


安心して

今を生きよう。

愛いっぱいに。

一緒に。


#死

#最大のアポトーシス

#死生観

#明日死ぬかもよ

#自然調和医療学

#いのうえまゆみ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?