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人間が人間であるための最高の学びって

生まれることと
死にゆくこと

この二つのことはほんの70年前まで
自宅、家族の暮らしの中にあった

医師や看護師のような医学的な教育を受けていなくても
経験を重ねながら、家族ひとりひとりが
その家の伝え人になっていく

人が生まれてくるまでのリアル
人が息を引き取っていくリアル
人が生きて、そして死ぬという
その一部始終を経験し、誰かと共有することは
今とても欠けていて、今とても大切なことだと思う

多くの子どもたちは、自分が生まれてくる時の話を
両親から聴くことが好きだ
いつも同じところで笑い、泣き、そして同じオチが
待っていても、何度でも聴きたい

自分の誕生について
親が愛おしく楽しく話をしてくれる様子は
「私はこの世界に歓迎されている!
 生まれてきてよかった!」という
何よりも強く優しい生きるエネルギーにつながっていく

同じようにみんな本当は、人の死の話を聴きたいと
思っているのではないかと思う。
必ず自分の身に起こることだから。
ニュースや報道の「死の報告」ではなくて
ひとりひとりのリアルな物語として。

最近、性教育で大切なことはなんですか?
死のことを子どもたちにどうやって伝えたらいいですか?
そんなご質問を受けることがある。

「すぐに現実的ではないかもしれませんが」と前置きして

人が生まれるところと、人が死にゆくところを
その一部始終を見ることだと思います

と、お答えする。

信頼する大人たちと一緒に
生と死の一部始終を経験し、共有すること
このこと以上の命の学びがあるかな、と思う

私がいつか作りたい場所は

MIBELの家(みべるのいえ)
Minna Issyoni from Birth to the End of Life
(みんな一緒に 誕生から命の終わりまで)

出産の場所でもあり、看取りの場所でもある家
お産を控えている人たちが、看取りのお手伝いをしたり
死が近い人たちが
生まれたばかりの赤ちゃんを抱ける場所

お産を控えている人たちが、雑巾掛けをしたり、お料理したり
死が近い人たちが、付き添いできている子どもたちに
手をさすってもらったり、本を読んでもらったりできる場所

妊娠前の女性たちがお話に来たり
高校生がお産をお手伝いできたり
死が近い方の人生のお話を聴けたり

学校の先生がお産を手伝って
誰かの人生最後の食事を作って
見取りの場で最後の脈をとったり

「家族」という枠を超えて
みんな一緒に、生まれることと死ぬことの一部始終を
その経験を共有できる場所

全ての人に受け入れられる場所だとは全く思っていなくて
こういう場を希望される方と一緒に
始められたらいいな、と思う

想いだけだから
まだまだ
「口だけの人」で恥ずかしいけれど
こうやって想いを出したら
叶う日が少しでも近づく気がして。

経済もない、場所もない、法律的なこともわかんない
一人じゃできない、何も決まってない、ただ
想いだけの段階です。

2022年もその未来に向けて
まずは還暦まで
走り続けたいと思います。

いつか未来の私が
今日の私に
「よくやったね!」って
微笑んでくれるように。

#性教育
#デスエデュケーション
#死の準備教育
#クオリティオブライフ
#生と死のリアル
#人間が人間であるための最高の学び


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