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生まれてくれてありがとうと産んでくれてありがとうが続く日

3番目の子どもが生まれたのがちょうど20年前の今日のこと。カリフォルニアの大きな病院で、日系人の医師の元、初めての無痛分娩と初めての立ち合い出産を経験した。すべての赤ん坊の誕生が奇跡であるように、その子の誕生も充分感動的であったに違いないのにその時ごきげんパパ♡が録画したビデオテープの上にどうでもいい日常生活を重ね撮りして消してしまったのは私の不徳の致すところという以外にない。

念のために取得したアメリカ国籍と、大使館に届け出た日本国籍が二つある娘だけど二歳直前に帰国して純粋な日本人としてすくすく育ってくれた。

10歳上の姉の時には妊娠中の体重管理を病院でうるさいほど言われたのにアメリカでは13キロも増えた臨月ですら周りのみなが”tiny,tiny”と心配してくれてお国柄を感じた。

最近は超音波の検診で生まれる前からどんなお顔の赤ちゃんかまでしっかり見えると先におばあちゃんになった友人から漏れ聞いているが、その当時はまだ性別が分かることに感心していた程度。女、女と続いてそろそろ男の子が生まれるに違いないと高をくくっていたごきげんパパ♡にまた女の子らしいよ、と言った時に明るく装って「ウソやろ?」と電話越しでおどけて返してこられた時の声は今も耳に残っている。

彼的に予期せぬ性別の赤ちゃんだったとはいえ、アメリカ人の同僚に何が何でも駆け付けろと言われてこわごわ出産シーンに立ち会ったごきげんパパ♡は予定通り感涙にむせんで三人目にして初めて産婦の苦労を分かち合ってくれた。それからは多かれ少なかれ私を畏怖し労わるようになったような気がする。

そんな未熟な夫婦の下に生まれてきてくれた子はよく笑う子で、よく笑う子は周りをよく笑わせる子だった。この20年間の幸せをどれほど感謝してもしきれるものでは到底ない。

産むのも大変なら育てるのも大変なのが子どもというもので、それはいつの世も順送り。明日は私の誕生日で、今度は苦労して産んで育ててくれた母に感謝をする日。

私が生まれたころはまだ紙おむつもなくて、持ち運び便利な離乳食も今ほど充実していたと思えず、また頼りになるはずの母方の祖母が亡くなったばかりということも重なって私の子育ての何倍も大変だったことが容易に想像できる。あれから50有余年、半世紀以上もこの地球で何とかぼちぼち過ごせている。毎日大なり小なりどしをしない日はないんだけれども。

ケーキよりもお赤飯の方がめでたいように思われて、今朝から用意している。江戸の昔も小豆ご飯はおめでたい時に人々は食していたようで、後から入ってきたバースデーケーキよりもお祝いの気分が盛り上がるのは個人的な感想。

もちろん歳を取るのを喜んでいるわけではないけれど今日まで元気で過ごしてこられたことは喜ぶべきことなんだろうと思う。

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カーテンを開けると朝日の眩しさが目に沁みました。皆様もどうぞ穏やかな日をお過ごしください。


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