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Women's Marchが楽しみすぎてねれない

こんばんは。まりあさんです。

今日はいよいよ明日(今日?)に迫ったWomen's Marchについて、意気込みとわくわく感について書いていこうと思います。

▽お友達から『ボールルームへようこそ』を全巻借りて、まさかの一気読み。どハマリ。
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■「フェミニスト」として初参加

実はWomen's Marchに参加するのは今回が初めてになります。留学から帰って大学でジェンダーを学び始めた2016年の3年前からずっと意識していたものの、ずっと参加できずにいました。

3年前はフェミニストと名乗って参加するのが怖くて、2年前は遠征費が用意できなくて、去年は仕事で疲れて精神が死んでて。今年、やっと参加できました。しかもちゃんと「フェミニスト」として!

本当はバイトのシフトが入ってたけど、ごめんなさい。私の人生、ポリシーかかったイベントなのです。生徒さんはみんなかわいいけど、それどころじゃないんだよね、許してね。

マーチの前日、家に帰る道すがら、今晩は多分寝れないだろうなと思ってたけど大当たりでした。まあ、明日のスタート遅いし、いいかな←

私にとって、フェミニストと名乗ることは、めちゃくちゃ勇気の必要な、でも自分に1番素直になれる行動なんです。でも、私はおそらく小学生からずっとフェミニストだったけど、25歳になるまでずっと他所の人には秘密にしてきました。だから名乗れることは素晴らしく嬉しいことなんです。

■私が「フェミニスト」と名乗れるまで

私は幼稚園の頃から、男の子として生まれたほうが人生得なんじゃないかと思っていた。ポケモンのゲームをするのは男の子ばっかだったし、女の子は夜に一人で散歩出来ないと知ってガッカリした。

中学から母と仲が悪くなった。母は私が好きなことをするとすごく怒った。高校生になっても仲は最悪で、当時、不仲の原因を無意識にジャンル分けしようとした。私や母のパーソナルな部分だけではなく、私達を取り巻く社会環境の部分も考えてみた。当時、私が出した仮説は「良い専業主婦にならなければならない」という若い頃からの圧力が母を狂わせた原因かも?ということ。でも確信には至らなかった。

大学生でドイツに留学して、色んな人と出会って、世界にはいろんなタイプのお母さん、女性が生きているのを知った。そこで「ジェンダー」を勉強できることを知った。

3年前、大学で今まで勉強したドイツ語学・音声学の世界から、ジェンダーに研究を方針転換した。そこで、色んな社会の枠組みを知り、高校生の時の仮説もあながち間違いでなかったと分かった。

論文もドイツとジェンダーを掛け合わせたテーマにした。自分の1番興味のある「結婚」に関する法律のことで書けて、とても楽しかった。

卒業後、まず自立しなきゃと企業に就職した。就職は大手ではなく、ITベンチャーに絞った。ベンチャーなら新しい考えの人が多く所属していて、変な私でも馴染めるかと思った。けどそれは半分不正解だった。

企業はやっぱり企業だった。

みんなお金が好きで、出世が好きで、自分がどのように会社や同僚の役に立つかを第一に考えないといけない場所だった。当たり前である。

私みたいに、社内の長時間労働是正やハラスメント撲滅、昨今の政治について考えてる人は、オフィスの中で、頭がお花畑の人のように扱われた。仕事で成績を残そうとしている人と、私の仕事に対する真剣度はいつも負けていて、敵わなかった。すごく悔しかったけど、自分にこれ以上嘘をつけなくて、全然頑張れなかった。いつも頑張れない自分が周りの足を引っ張るばかりで申し訳なかった。

ジェンダーなんて知らない、変な偏見を持ってる人でいっぱいで、フェミニストなんて名乗った日にはどんな目を向けられるか分からなかった。

初めの1年はがむしゃらに過ぎた。仕事に行きたくなくて、朝は異様に目が早く冷めて、遅刻ぎりぎりまで布団から動かなくて、タクシーを拾って出勤してた。お金はあったから。

残業とかして、嫌いな上司に愛想笑いして、ジェンダーのこととかあまり考えないで頑張って働いても、タクシー代と上司との飲み会代に給料は消えていくんだと思った。めちゃもったいなかった。

せっかく東京に住んでるから色んなイベントに参加したり出来ると思ってた。でも現実は、平日の疲れか、土曜日は1日死んだように寝てしまっていたし、日曜は月曜の憂鬱で半日動けなかった。

余暇を楽しむには心の余裕が必須なんだということを身を持って知った。

唯一人間らしくいられたのは、彼氏と話をしているとき。彼はドイツに住んでいて、遠距離恋愛していた。彼とスカイプしたり、休暇をとってドイツに会いに行くと、心は回復する。でも次にくるのは表現し難い羨ましさと絶望感。

今でもあんまり当時のことを思い出せないけど、とりあえず、ドイツから帰ってきた日は絶望して、2週間会社に行けず、有休をほぼ使い切ってしまった。

そして去年の秋から、私は彼と同棲を始めた。彼は多分私と一緒に住むため半分、コネ作り半分で、東京に留学することを決めたみたい。大学院留学で1年だけ日本に住む間、一緒に住むことになった。

同棲は意外と楽しいものだった。人と食べるご飯は美味しいし、人のためにご飯を作るのは楽しい。誰かの待つ家に帰るのは嬉しかったし、布団にくるまって隣が暖かいのはホッとする。

彼と一緒に住むようになって、私の中に違和感が出てきた。

何で私は残業ばかりで早く帰れないんだろう。何で朝早起きして、さほどやりたくない仕事をしてるんだろう。
何で私はジェンダーを学びたいのに、大学院に行ってないんだろう。イベントに顔を出したり、本を読んでないんだろう。
何で私はジェンダーを学んだのに、差別の問題にキチンと向き合えてないんだろう。上司のパワハラに対していつまでも愛想笑いしか出来ないんだろう。

何で私はやりたいことをやらずに生きてるんだろう。他人の人生を生きてるみたい。知らない間に入社して1年半経ってた。半年があっという間すぎた。こうして半年1年はすぐ終わっちゃうのかな。

そしてある日、私は満員電車に乗って会社に行くことが耐えられなくなって、会社に行けなくなってしまった。

休職中、初めの方は罪悪感でベッドから動けなかった。辞めるか辞めないかの瀬戸際で迷っていて、うだうだしていた。

でもしっかり休んで、改めてやりたいことを整理してみた。やっぱりジェンダーのことをちゃんと考えて生きていきたいんだなって気がついた。

そこから上司に辞めることを伝えて、辞めさしてもらった。ジェンダーの専門家になると言ったら、仕方がないねと応援してくれた。本当に良い人たちと働いてた。職場の同僚ではなく、お友達として出会いたかった。

そこからSNSの配信活動をスタートさせた。Twitterは中学の時からやっていて、大学生で使っていたアカウントを引っ張りだしてきた。やり方わからないけど、ここから啓蒙活動をスタートさせようとした。

活動のアーカイブが残せるように、あと運良く稼げたらいいなとブログを始めることにした。とりあえず続けられるか分からなかったからnoteに記事を書き溜めることにした。なんだかんだ半年続けられた。

■フェミニストと名乗ることの怖さ

初めはフェミニストと名乗ることが怖かった。大学生で左翼と名乗ることが怖かったのとほぼ同じだった。

大学で仲良かった友達は左翼の活動家になったけど、公安から目をつけられてゴーンさんのように見切り発車で逮捕された。勿論、なんの罪もないので1ヶ月ぐらいで釈放されたけど、政権やメインストリームに逆らうとこんなに怖い目に合うんだと恐怖した。その友達は釈放後、ひっそり活動してたけど、逮捕されてちょっとしたニュースになったから、普通に就職出来なくて、教職を目指すと言って頑張って笑っていた。Mちゃん、元気にしてるかな。

Mちゃんの逮捕も衝撃だったけど、左翼と名乗るとものすごくアンチからバッシングを受けることは中学生から知っていた。

私は元々政治に興味があったので、手始めに読売テレビで情報を集めていた。次第にネットで気になる話題を調べたりするうちに掲示板をよく見るようになった。

そこにかかれたコメントは悪口のオンパレードだった。左翼は馬鹿だの、頭が悪いだの、さんざん書かれていた。数年後、私は右翼から脱却し、左翼的になっていったが、悪口の対象になってしまった恐怖を捨てきれなかった。

フェミニストにたいする悪口もインターネットでたくさん見てきた。何なら現実世界でもフェミニストは嫌われ者として扱われているのを見てきた。

やしきたかじんのそこまで言って委員会では、フェミニストとして田嶋陽子さんが出ていて、いつも男性出演者からやいのやいの言われたり、途中で割り込み発言を受けていた。田嶋さん自身も喋りに必死で、フェミニストはキイキイとしか話せない非論理的イメージがあった。あとフェミニストは何となく女性ばかり優遇するし、えこひいきみたいだし、とにかく何となくのネガティブイメージがすごかった。

私はフェミニストと名乗ると社会的地位が危ぶまれると思った。だからながい間名乗れなかった。

でも勇気を出して、去年から名乗ってみたら、意外や意外。あまり大した攻撃を受けないのです。Twitterで名乗るだけなら、匿名で大丈夫だし、現実世界で叩かれたり暴力を受けたりしないんだ、私の被害妄想だったかと思いました。

もう一つ、フェミニストと名乗って良かったことがありました。それは情報がどんどん私に集まってくるようになったことです。

フェミニストと名乗ってから、Twitterでフェミニストの他の人が仲間だとフォローしてくれたり、絡んだりしてくれました。私がアンチと戦っているときも、いいねやRTで励ましてくれました。良いイベントや本は彼らとシェアしまくりました。もっと早く名乗れば良かったと今では思いますが、覚悟を決めたあとだから言える話です。

■最後に

明日はマーチです。マーチに参加して、毎日が劇的に変わるとは思いません。でも、オフラインの活動に踏み出す第一歩です。

私は差別を許さないし、女の子も楽しく平等に生きたいから、マーチに参加します。自分に嘘はつかないし、怯えるものもありません。

明日は良い日になりますように!

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