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言葉なんてなんぼ伝えてもええですからね。

「別に見返りもお返しも求めてるわけじゃないから。好きでやっているだから」と、親切な友人ほど言ってくれる。

でも、そこに甘えてはいけない、と大人になるにつれて思うようになった。
無条件に何かを享受できる素直さも幼さも、良くも悪くも忘れつつあるけど、私は“それでいい”とも思う。

「もう捨てるだけだし」「ロットが多いから、もらってくれた方が助かる」って受け取りやすい言い回しをもらうこともあるし、ありがたくいただく事も多くてありがたいなと思うことばかり。

最近は、SNSでも共通の趣味を持つ方とお話することやお会いできることも多くなって。

ハンドメイドが得意な方やデザインが好きな方など、公式ではないけど、だからこそ、かゆいところに手が届く現場で便利なグッズや一緒に写真に撮りたいモチーフなどバリエーション豊富でそれぞれの個性が滲み出ている。
センスもなければ不器用で何も形にできない私は、いつも「天才……?」って言い続けているし、見ているだけでときめきが止まらない。

でも、「何かをつくる」「生みだす」ことって本当は手間も時間も、それにお金だってかかるはず。
企業が出すなら当たり前にお金がかかることが、個人になると“材料費のみ”、あるいは“善意”によって見えなくなってしまう。

「好きでやってるんでしょう?私の分もお願いします。材料費のみで」って雑な話を見かけるたびに自分勝手では……?って、これまた勝手に思っている。

春、「後工程もあるし、収穫しないといけないけど……」と値段崩しながら出荷するか、譲るか、廃棄するか0円食堂ならぎりぎりアウトになりそうな物がどうしても出てくる。

父は「お返しをもらってしまったら、気をつかうから来年はもう渡すのやめようかな」って言ってたので、私とはまったく考え方が違う。私が気にし過ぎなのかな?と思っていたんだけど、

“品質がそれなりならば、本来なら値段もそれなりになるはず。
本来の価値を分かっているから、朝5時から手間暇をかけていることも知っているから、自分がやりたくなるからやっているんだ”と先方から言われて腑に落ちた気がした。
逆の立場を体験して、ありがたく思うと同時にそうありたいなと思っている。

取引アプリでは受け取り連絡や評価まで完了して、1つの取引が完了することが浸透しているのに、丁寧で迅速な対応がいいとまでされているのに。

多分、私はこれからも誰かに何かをもらったら、お礼も感想も送りつけるだろうし、何か返せるタイミングはないかな?って思っていたい。
距離感が近づいても、「別にいいのに」って笑われたとしても、その方が私にとっては気持ちいいことだから。

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