愛の餃子物語2022

梅とたくあんの入ったコンビニおむすびをくわえながら、両手でほうじ茶のペットボトルをあけつつ、右足はアクセルを踏んでいた。

—どうしてこうなった?

大阪で行われるF-BLOODのライブに車で向かいながら、私は今にも泣きたいような気持ちで、自問自答していた。

F-BLOOD
それは私の愛する藤井フミヤと、その弟の尚之で結成されたユニットだ。
この日のために、私はもっとワクワクしながら、お洒落をしたり、開始時間を待ちながら、ゆっくりランチを楽しんでいてもいいはずだった。
なぜなら、藤井フミヤその人こそ、私が最も愛する存在であり、「いつかうちの店に餃子を食べにきてほしい」という夢を抱かせてくれる、私を私たらしめている唯一無二の存在。
今日はその人に会える、年に何度かのスペシャルな日だからだ。

それが、どうしてこうなった?
美容室に行く暇もなく、やむなく出る前に風呂でカラーリング。
一回で染まるトリートメントとやらは、私の爪をも黒く染めてしまった。
ぴかぴか光るネイルも、おろしたてのツアーTシャツもないまま、ろくに食事も取らずに車を走らせている。

こんなに仕事に追われるはずじゃなかった。
少なくとも、ライブの当日くらいはフミヤのことだけを考えていたかった。

—まるでサメのようだ。

私はそう自嘲した。
泳ぐことをやめられない鮫、止まると倒れる自転車操業。
慢性的な人手不足から、ここのところ私は働き詰めだった。
コロナからこちら、飲食店は激減している。
当店も、店内飲食のお客様が少なく、店の売り上げはコロナ前の1/4にまで落ち込んだ。

通販やイベント出店でその穴を埋めてはいるが、正直いつ来るともしれないお客様のために、毎日飯を炊き、下拵えをしてスタッフを待機させておくだけの余力はない。

「ウチはもう、2度と飲食店はやんない」
丸くモチモチした餃子を売っている餃子店の店主の言葉が、脳裏を掠める。
割に合わない飲食部門を削ぎ落とし、今や、卸しやイベント出店で成功をおさめている人気店の店主の言葉だけに、重みがある。

「実店舗?壊滅的だよ」
常に催事で全国を飛び回る、坊さんの名のような餃子店の店主は、バッサリとそう言い切った。

どこもやはり、飲食スペースをなくすか縮小するかして、店の命運を別の方法で維持しているのだ。
そう思うと、このまま飲食店を続けるよりは、テイクアウト専門にして、時々イベント出店するようなスタイルにした方が、合理的だろう。

「ハワイのドン・キホーテでは、日本の餃子が大人気でね、送っても送っても品切れてしまう。日本の餃子は世界にまだまだ需要があるから、今あるブランドだけを残し、売上の上がらない実店舗は閉めて、そっちに舵を切ってみては?」
肉汁が溢れる餃子を筆頭に、餃子だけでなく多種多様な業態を展開する店のやり手部長は、こうアドバイスをくれる。

—でも、そうなるとフミヤがもし、うちの店に来たいと思っても、もう来れなくなるな…。

夢を諦めるべきなのか?
いつ来るとも知れないフミヤのためだけに、踏ん張って店を開け続けるのは、現実的ではないのだろうか。
スペースも狭く、利益を生まない店内飲食を残すより、そこを厨房に変えて卸やイベント用の餃子を作り続けた方がいいのだろうか。
数字が、何度も私に問いかけてくる。

つい昨日のこと。
うちと同じ、パンダの看板が目を引く京都の餃子店に、なんとフミヤが訪れた。
そのお店のSNSに、フミヤのサインが掲載されていて初めて知ったのだ。
私はこれまで、フミヤの耳に届くように、毎日高みを目指して頑張ってきたつもりだった。
少しでも多くの人に知ってもらい、いつか「そんなお店があるなんて」と、フミヤに興味を持ってもらえたら、と。
しかし、もしかしたら私は頑張る方向を間違えていたのかも知れない。

寒風吹き荒ぶ京都。
その日フミヤはTVのロケで、嵐山のとあるお寺を訪ねていた。
おそらく、その過程で件の餃子店を利用したのだ。
つまり私が目指すところは、TVクルーが入れるだけの駐車場と席を擁した店を作ることか、フミヤの住む渋谷区に店を構えて、千載一遇のチャンスを待つかなのではないか?
ちんまりと京都の端っこで、風前の灯みたいな店を構えて「キテーキテー」と叫んだところで、そこにフミヤが来てくれる可能性は、限りなくゼロに近い…。

高速道路を西に走りながら、何台もの車に抜かれることを気にも留めず、そんなことをぼんやり考えていた。


高架下のさびれた駐車場。
埃をかぶったような街の空気に、本当に侵入していいのか?と疑いながら車を停める。
恐る恐る見回すと、238ナンバーの車が何台も停められていた。

—よかった。ここでいいんだ。

238はフミヤファンなら愛着のある数字だ。
今日本のこの一点に、F-BLOODを中心としてファンが集結している。
それぞれいろんな事情をかかえ、現実に折り合いをつけ、時間とお金を使ってでも、この場所に来る理由があるからだ。
不本意に染まった黒い爪も、とりあえずかきこんで満たしただけの腹も、今にも泣き出しそうなどんよりした気持ちも、とりあえず忘れよう。
不安な気持ちを抱えたまま、フミヤに会うわけにはいかない。

歩いてホールに向かう道すがら、ファンと思しき人々があちらこちらで談笑していた。
今日ここに来ている人の中にも、うちの餃子を食べたことがある人がいて、私の夢を応援してくれている人もいるはずだ。
歩みを進めるごとに、私は自分についていた重い錆のようなものが、少しずつ道に落ちていくのを感じた。
そして会場に着く頃には、随分と浮き足だった気持ちになっていた。
私に用意された席は最後列だったが、そんなことはどうでもよかった。
「最後列なのだ」とガッカリした気持ちで、フミヤに会いたくはないと、いつの頃からか、席を気にすることはなくなった。
どの席でも神席、なぜならそこにフミヤがいるからだ。

暗がりの中、ゆるやかにライブが始まった。
光を背負ってF-BLOODの2人がステージで歌う、演奏する、踊る。
その姿をみているだけで、指先まで新しいエネルギーが充電されていくようだった。
曲の全てが、今の、過去の、これからの自分に重なっていく。

「Make me 何度でもトライできる 僕を愛するなら」〜F-BLOOD  Make me より 

力強く、何度も繰り返されるそのサビの歌詞は、私の胸の奥深くまで沁み入った。

—そうだった。

私が心を込めて大切に作り続けている餃子を、いつかあの人に食べてもらいたい。
その私の思いを応援してくれている、たくさんの人がいる。
この根幹だけは、誰になんと言われても、ブレてはいけないんだ。
私がフミヤを愛する限り、私はその夢に何度も何度も挑戦し続けることができる。
だってフミヤが、今私の目の前で、そう歌ってる。呼びかけている。励ましてくれている。

「ロケのついでに寄った」とか「誰かに食わされた」とか「付き合いで仕方なく」ではなくて、この思いを込めて、直接あの人に、今自分ができるいちばんの餃子を届けたい。
思い返せば、私がイベントに出るのもそうだ。
うちの餃子を食べたいと言ってくれる人のために、直接焼き立てを、作りたてを届けたい。
その一心だ。
「これが今1番美味しい状態です」といって、うちの餃子を食べてもらえる場所は必要なんだ。

もちろん、店を経営する以上、利益をしっかり残せなければ潰れてしまう。
厳しい現実に目を背け、偽善的に理想論を振りかざすつもりもないけど、少なくとも店内飲食を辞めてしまっては、フミヤがいつか店に来てくれるかも、という夢は潰える。

60歳の誕生日、還暦ライブでフミヤが言った。
「未完成のまま終わりたい。夢を追い続けたまま死ねるから」
夢は叶えるためにある。
しかし叶わない可能性が高いと諦めて、夢を見ないという選択を、もし仮に今私がしたら、私はこの先、なんのために餃子を作り、誰のために店を続けていくのか?
叶わない夢は、見る価値がないのか?

私が餃子を作り続けるのは、自分の夢のためではなかったか?
夢がなければ、そもそも餃子を作る理由はどこにあるのか?
ただ生きる糧に金が欲しいなら、最初からこの商売を選んではいないだろう。

私と夢は、一蓮托生。
すっかり目の前の霧が晴れた、帰りの高速道路。
流れゆく光を追い越して、長いトンネルを抜け、次の一手を考える。
もちろんBGMは、藤井フミヤ。

「私の夢は、いつか愛するフミヤに、心を込めて作ったうちの餃子を食べてもらうことです」
2022年12月  いけだけい




〜後記〜
長い文章、最後まで読んでくださってありがとうございます。
この記事は、焼き餃子協会の、2022年アドベントカレンダーに参加しています。
#餃子アドベントカレンダー2022
https://adventar.org/calendars/7755

愛の餃子物語も、2020から始まり、今年で3回目の投稿です。
今年はトリを飾るつもりで、意気込んでこの枠を押さえたわけではなくて、本当に今人手不足と金策に追われて、クリスマスまでは落ち着いて文章もかけないだろなと予想し、あいている中から1番遠い日にしたら、こうなっちゃいました。
ライブに行った12/4から書き始めましたが、今もその気持ちは変わることなく、逃げたくなるような思いからは脱出しました。
2023年は、更なる挑戦の年にしていきたいと思っています。
今まであたためていて、できなかったことを、いよいよ形にして、後悔のない人生にしていきたいと思っています。
読んで下さった皆様、心からありがとうございます。
2023年も引き続きよろしくお願いします。


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