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ゆゑしらぬ故に

クリスマスです。でも、田舎に居りますと、街の喧騒からは程遠く、まったくクリスマス感がありません。

昨日は、行きつけの喫茶店でカレーライスとケーキを食べました。手作りのスフレチーズケーキ、堪能しました。

あとは、ゆっくりお風呂に入り、本を読んだりして、いつもと変わらぬ日常です。

ただ、昨年の今ごろは忙しかったことを思い出すと、騙し騙しでもいいので、春まで持ち堪えて欲しいもんです。

本日の俳句、クリスマスからは遠くかけ離れております。でも、メリークリスマス🎄🎶


丑年の子百目増しで猫負かす

「丑」は「牛」ではないそうです。丑年生まれのわたしは、自分は鈍間な牛だと思い込まされていたので、びっくりです。

というか、今年の正月はバタバタしていて、今年が丑年だということすら失念しておりました。気づけば丑年もあとわずかです。まだ丑年を満喫していません、しまった!

ところで、丑年の「丑」は、『漢書 律暦志』では「曲がる」とか「ねじる」を意味して、芽が出かかっているが、まだ曲がって地上に出ていない、伸びきれずにいる状態を表すものと解釈されているそうです。

この「丑」を「牛」としたのは、失礼な話ですが、無学の庶民に十二支を浸透させるため動物の名前を当てたもので、順番や選ばれた理由は定かではないということです。

(語源由来辞典参照)

とまあ、句と関係ない話をしましたが、この句の「丑の子」はわたしのものづくり師匠のお子さんのことです。

勝手な造語ですが、丑年生まれなので丑の子という、安直な呼び方です。

ググってみましたら、百目が375gです。丑年生まれのお嬢さん、百目成長し、猫のユズを追い越したようです。成長がほほえましい。

しかし、たまたま見つけた百目が面白くて、こんな句を詠みましたが、意味不明ですね。季語もはっきりしませんし、完全に自己満の句となりました(反省)。


独り身や雛の頭をすげ替えしツケ

(ひとりみや ひなのずをすげ かえしつけ)

雛人形いぢめた罰の独り身よ

(ひなにんぎよう いぢめたばつの ひとりみよ)

季語は「雛」ですが、自虐的な一句となりました。下七となっていますが、お雛様の頭を付け替えて遊んだバチと申しますか、ツケがまわってきていまだにお一人様という、世間から残された感じを中七で表してみました。

決して、鳥の雛の首をすげかえたのとは違いますよ(苦笑)。


雛箱を踏み台かわり春は来ぬ

(ひなばこを ふみだいかわり はるはこぬ)

同じく自虐ネタです。物事にはすべて原因と結果があります。


献花台傷みしはなや冬の雨

(けんただい いたみしはなや ふゆのあめ)

季語は「冬」です。

毎日、どこかで献花台が用意されては、花が置かれています。腹が空かないように、喉が乾かないようにと思ってか、食べ物や飲み物なんかも置かれています。

その行為自体は美しいと思いますが、以前、献花台の近くに住む人に言われました。

「献花された花が腐って見苦しいし、食品を置かれるとカラスが来てかなわん」と。

その女性は、ひと目につかない早朝に献花台付近を片付けていました。日頃、見たい部分しか見ない自分の浅はかさに気づきました。

「傷みし花」ではなく「傷みしはな」と平仮名にすることで、傷んで輪郭がぼやけた花を表してみました。


ゆゑしらぬ猫の見つめる先に梅

(ゆゑしらぬ ねこのみつめる さきにうめ)

季語は「梅」です。「故知らぬ」をわざわざひらがなで表してみました。猫は漢字なんぞ知りません。

そんな猫が何やら見つめていると思ったら、視線の先に本当は蜘蛛が垂れ下がっていましたが、美しくないので梅にしました。

でも、蜘蛛とした方が、故知らぬ猫が見つめている謎を深掘りすると面白いかも。

猫とか犬って、時々、部屋の隅っことか凝視していることがあります。鈍感で霊感なしのわたしはスルーしちゃう、邪気が在るようでゾワゾワします。

だから、猫のマールが無邪気に寝ていると、安心できる場所であることの昭明みたいで、自分も落ち着くことができます。

今、マールは布団の上でふみふみ。よし!

メリ~クリスマス~