暮れの春はタリラリラ~
連続の夜勤も最終章です。今日は何日?何曜日?と聞かれても、え?となりそうです。
でも、決して認知症の始まりではなく、単に夜勤ぼけです。
タリラリラ~🎶
暮の春猫おらぬ膝抱き寄せる
肌寒い季節には、のっそりと猫が膝にのってきてくれました。でも、段々と暖かくなり、春が終わろうとするこの季節は、猫は膝から遠のいていきます。
外で遊んで火照ったからだには、猫もフローリングの冷たさが心地よいのでしょう。
猫のからだの温もりも重みも失くなった膝、すこし寂しそうです。固まった関節を伸ばすときの鈍い痛みすら、懐かしく感じます。
当たり前にあったものが、わたしの周りからどんどん失くなっていきます。わたしがいなくなると、当たり前にあったものの記憶すら失くなってしまいます。
なんか、簡単に死んだらあかんな、と思ってしまいます。
行く春や珈琲ぜんざいの初デート
京都で短大生をしていた頃、短い学生生活で達成すべき課題は、デートをして、その当時流行っていた珈琲ぜんざいを食べ、夕暮れの鴨川のほとりに並んで座ることでした。
等間隔で並ぶアベック(今では死語かしら)、それを羨ましそうに橋から見下ろしながら、迫るタイムリミットにアセアセ。
今でもやはり等間隔で座っているのかしら。それとも、他にいいお披露目の場所ができたかしら。
それに、やはり今でも珈琲ぜんざいは売っているのかしら。
もう40年近く前のことなのに、あの当時からわたしの精神年齢は成長を止めており、珈琲ぜんざいを思い出すと、胸の中が甘酸っぱくなります。
いやいや、珈琲ぜんざいだから、甘酸っぱいより甘ったるいかしら。
大人心と子ども心が、カップの中に同居したみたいな珈琲ぜんざい。まだ大人未満だったあの頃、わたしがはまったスイーツ、あれ?それともドリンクかしら。
地元では見かけない珈琲ぜんざい、京都にはまだあるのかな、もう一度食べたいな。