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親孝行を考える ~母のこと(5)~

親孝行というのができる時間も限られてきた。

母は日々の呼吸が苦しそうで、まだユックリ動作で日常生活はできているけれど、これがいつ寝たきりになるのかわからない。体重も減ってきているという。そのなかで、親孝行はしておきたいという話。親孝行したいときに親はなしという格言も聞いたりする。それは寂しい事なので何とかしたい。

今わたしは同居なので、一緒に居たり、毎日ちょっとした話を聞いたり、こちらから話したりすることが親孝行なのでは?と思って欠かさずやっている。

もう旅行などできないし、多くの食事を食べられるわけでもない。お寿司なら割と食べられる。だからお寿司を買うことは多いけど。

でもこんなんで親孝行と言えるならば、そういう距離でいられることも、毎日話を聞けることも、いざとなれば介護もできることも、とても幸せなことだと思う。

話はちょっと変わるが、母は友人の家に行って、友人宅の小型犬に顔を噛まれて帰ってきた。雑菌が入るかと心配で、気が気ではなかったが、回復傾向になってきた。ヨカッタ、ホッとした。

そのときに処置の仕方、顔の洗い方とか、医師処方の薬の意味などすべて説明して伝えることができた。日々の観察もできた。そういう意味では看護師の資格がとても役に立っているし、力になれてよかったなと感じている。

そういう日々のちょっとした積み重ねが親孝行なのかなと勝手に解釈して、自分なりに気持ちを静めているけれど。

だからといって弱っていく人を見るのが、気楽ということはないのよね。涙ウルウルしながらやっていることも多々ある。

でも仕方がない。先行くものが亡くなるのは世の常。自分もその番が来ているということ。しかたない、しかたない。


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