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考え方のルーツ②:外資系企業で働いて。

モヤつくPR業務のボヤッと感


私はPRなのにオラついているわけですが、前にも触れましたが、やはり自分の立ち位置として自認している役割がマーコムだからなのだろうなと思います。

そもそも、PRの評価って、良くも悪くもボヤっとしてませんか。
もちろん効果測定の手法はいろいろありますし、でもそれを計測するツール?をサービスとして提供する商売がある以上、前提としてボヤッとしているのだと思います。

掲載実績が何件あろうが、「それって売上に効果あったの?」と、直接的な関係を求められてそうな空気を感じたり。んなもん測れるかい!なんなら売り上げが上がっても営業の手柄になりがちな悲しいサガをもつのがPR業なんじゃないでしょうか。
「楽しくないよ、こんな誰にも感謝されない仕事」とボヤいていた同業者もいたなあ〜。。

売れなかったらマーケやPRのせいにする営業もいますからね。そういうケースもあるかもしれませんが、そもそも人のせいにするようなやつは大抵君の問題だよ。っていう小物パターンですね。ノロ子調べ。

ボヤッとの話に戻すと、3万円払ってPR TIMESでリリース配信しているのに、PR会社はPR TIMESでの掲載に関する広告換算金額(掲載記事の広告的な価値)は40万超の金額を出してくる。え?どういう理論…?

そんなこんなで、なーんかフワッと、ボヤッとしてるように思えてしまうのがPR業。です(私の中で、ね)。

近年ずっと外資だった私には、ハッキリした結果が安心材料なんだろうなと。だからピュアなPRの立ち位置でいられないのかなと。
現職はPR新設にあたり、ブランドコミュニケーションという括りにしていただいて、PRのみならず、メディアさんが絡む広告についても担当させていただいている=要はマーコム業務に取り組ませていただいているので、ありがたい環境に身を置かせていただいているなと思っています。

完全成果主義の外資


さて、「外資ってオキューリョー高いけど、評価がエグい」というイメージがありませんか?私はありましたし、自己評価が高い方では無いので、外資に飛び込むなんてあり得ないと思ってました。

しかし何のご縁か。28歳の時にアメリカの広告会社に飛び込むことになったのです。当時はまだまだウェブが発展途上だった時代でした。出版社は紙を崇拝する文化が根強く、編集者が絶対的権力を持ち、ウェブなんて2軍。ウェブはオタクが携わるもの、くらいの扱いだったんじゃないでしょうか。本当に。お金を生み出すポテンシャルがある土俵は既に紙ではなくウェブだったのに、です。

しかし、海外はそうじゃない。ウェブの可能性をぐいぐい見出していた海外勢ですが、日本で彼らが望む広告をマトモにコントロールして扱える会社がない。モード誌まではいかなくとも、雑誌のようなセンスのコンテンツを作って出稿できる媒体がない。

それで、電通やADKなどの広告代理店や、小学館、集英社、日経BPなどの複数のメディアの資本が入った、ハブのような立ち位置のアメリカの会社が日本でローンチしたのです。HQのアメリカ本社ではメゾンブランドの広告を取り扱っていた実績があり、日本法人の設立タイミングでは、シャネルやLVMH、あとは生まれたばかりのiPhoneなんかがクライアントだったと記憶しています。
ウェブ界隈では唯一無二の、ブランディングを大切にする、ラグジュアリー路線をいく気風でした。

その会社はいわゆるアドネットワークを持ち(そのネットワークは出版社の雑誌のメディアや、ウェブの中でも優良なまっとうやサイトで成り立っていた)、ディスプレイのバナー広告のみならず、タイアップ記事までもネットワークで配信していました。

私はそのハブとなるメディアの編集者でした。
自社メディアや各社雑誌のウェブメディアに掲載されるタイアップ記事を作ったり、エディトリアルコンテンツを企画して作ったり。企画して、撮影して、ページ作って、ブランドさんの発表会、展示会、パーティに足を運んで・・・・・を繰り返す毎日でした。

私が抱えるタイアップの数は年々増え、しかしながらほぼ全件のタイアップの進行管理を1人で担当したりしていたので(13クライアント同時進行したのが最大)、目の前のことや、やりたい企画を叶えるために、精一杯でした。

午前3時に会社を出て、朝8時から横浜で撮影なんて日も。てっぺん近くに、急遽、大御所スタイリストさんが飲んでる場所にお邪魔できることになり、仕事の相談をさせていただき、解散後に近所のバーの片隅で資料やらをまとめたり。

編集長と私とデザイナーしかいないチームだったのに、編集長産休!なんて時期もありました。笑

とにかくいっぱいいっぱい。風邪もひけませんでした。私が倒れたら、総額うんぜんまんの売り上げはどうなる?って考えたら怖くって。身体ってよくできてますわ。
そういう、仕事が属人的になることが組織としてよろしくないことは今なら分かりますが、当時はただただ必死でした。

思い返せば、デートの時も車の助手席でPCを叩き、ディナーでは着信に席を立ち。最悪ですよね。
(余談ですが、先日プロパー電通の友人と食事してたら、22時でも仕事の着信にたびたび離席。え?大丈夫?令和だよ?ってなっちゃいましたよね、、)

しかし、私の視界に入っていなかったところで、どうにも日本の業績が良くなかったことがありました。

するとね、まず派遣だか契約だかの社員さんが業務委託への変更を打診されたりしていたようで。極め付けは、最終的に社長が退任されたのです。そんなことある?って思いました。でも、あるんですよね。

無我夢中の毎日で霞んでいたけど、皆優しく仲良く仕事をしていたけど、やはり、私がいたところは外資系企業の日本法人だったんです。その人がどんなに功労者であろうが、人格者だろうが、努力をしてようが、リスペクトすべき点がたくさんあろうが、それはそれ。経営のために必要な人材を然るべきポジションに配置するためには結局結果が全て、未来のために売り上げ回復が見込めるかどうかのポテンシャルが判断基準なのですよね。

今こうして書いていてもガイシケイキギョウってやっぱり怖い気がしてきます、怖いんですが、でも、その評価内容に納得感はあるんです。きちんと結果を出していれば、その分payされるし、どの立場の人も長いバケーションをとるし、評価に余計な私的な感情が入らないことの平等さって、私にはすごく効率的且つ健康的に思えたのです。
このゴリゴリの外資系会社を経験して、「納得感」というのは私にとってすごく大切にしたいものなのだなと気付くきっかけになりました。

つづく。(のか?)

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