【同性愛】 「それは間違った道だよ」と、人は言う
「なんか、変わったね(笑)」
久しぶりに会った友人から、当時かけられた言葉。
大学に入ってから、どんどんとボーイッシュになっていた私の姿を久しぶりに見た高校の同級生。久し振りの再会なのにも関わらず、開口一番がそれだった。
決して肯定的な意味でないことを示すかのように、私の足先から全身へとジロジロと不躾な視線を巡らせて、面白半分な表情で、そう言ってきた。
たしかに、私は変わった。
でも、厳密に言い返すのであれば、私は変わったのではなく、戻ったと表現する方が正しいかもしれない。
以前の私は、本来の自分を隠して、普通に見えるように「変えていた」だけ。
その「変える」行為をやめたから、本来の私に戻っただけのこと。
そんな本来の自分へと戻るきっかけとなったのは、アメリカへの短期留学だった。
多様性が進んだアメリカに行けば、私は「自分らしく生きられる」と信じて止(や)まなかった。つまりはアメリカに幻想的な憧れを抱いていた。そんな憧れを抱いて渡米した10代の私。
でも、そこで目の当たりにしたのは意外な結論だった。
今回は、そんな私の個人的な体験を綴ってみます。
アメリカへの留学
18歳のとき、アメリカに短期留学しました。多様性が進んだアメリカに行けば、セクシャリティ面で抱いていたしがらみが薄くなるのではないか、もっと自分らしく息ができるのではないか。留学への表向きの理由は言語の勉強だったけれど、内側にはそんな密かな期待を抱いて、10代の私は海を渡りました。
たしかにアメリカでは「普通」という物差しが使い物にならなくなるほど、「みんなと違う」ということが気にならないほど、見た目も服装も性格も意見もルールも、なにもかもが日本とは違っていました。
肌の色もイエローやブラック、ホワイトなんてそんな単純な色ではもはや区切られないほどに、グラデーションの人ばかりだったし、野菜しか食べないと主張するガリガリの人も、自分の体重を支えられずアイスクリームを抱えながら電動車椅子に乗って移動する人もいました。
大学の教授同士であっても、自分の意見を貫き通そうとして、講義中には口論のように発展する場面も。みんなが自分の信じている意見を主張する。それで真っ向からぶつかり合う。そもそも分かり合えるとすら思っていないし、分かり合えないままでも、お互いに意見を正面から衝突させる。それが当たり前の文化。
どれも日本ではあまり見られない光景。
セクシャリティに関しては、個人的な体感ですが、日本では感じられないほどに受容と拒絶が混在している、そんな感じでした。それは信仰している宗教や生まれ育った国、つまりは文化が違うから、受け入れられない人は否定や拒否を示してくる。
日本では「まぁ、そういう人もいるよね」といったグレーな部分で受け入れる人がいるだけでも、ありがたいことなのかもしれないなんて、逆説的ではあるけれど、そんなことを感じたほどです。
そんなふうに実際にアメリカで現地の大学に通って、日本に帰国するときに決意したこと。それは「他人の目より、自分の目を大事にしよう」ということでした。他人の考え方や見方は簡単には変えられないということを学んだからです。
男の子に見えないように頑張っていた私
まだ留学をする以前。私が日本で通っていた大学は有名な(?)ほど、いわゆるお嬢さま系の雰囲気をした子がほとんどを占めるようなところでした。
周りを見ればモデルと間違うような見た目をした子や、お嬢様ファッションのように上品なワンピースに身を包んだ子。フリフリピンクリボンといったところまではいかないけれど、紺色ワンピースにレースの白い靴下みたいなそんなイメージ。
私の友人たちも、そんな雰囲気の子がほとんどでした。
だから入学してすぐのころは周りから浮いてしまわないように(どうやっても浮いてしまうのだけれども)服装や髪型にも気を使って、今よりもずっとフェミニンな服装や髪型をしていて。
さすがにスカートは履けなかったので、ギリギリ女の子っぽく見えるショートパンツを。Tシャツで登校できるような雰囲気でもなかったため、ハーフスリーブのブラウスを。ヒールやパンプスは履きたくないから、せめてヒールのあるお洒落スニーカーを。
髪型は丸みを帯びたショートカットに。ピアスもネックレスも、華奢なタイプのものを選んで着けて。
ずっと他人の目を気にして、自分が100%したいと思う服装を我慢して生きていた。髪の毛を短くすると「なんでそんなに短くしてるの?」なんて言われるのが鬱陶しくて、服装も「これじゃ、男の子にしか見えないな」なんて思ってはまた着替えて。
当時はまだあまり深く考えていなかったけれど、ふと街なかのショーウィンドウに映った自分を見てため息をついてしまうことがよくありました。
「本当は、もっと違う格好がしたい」
「もっとカッコいい髪型や服装で過ごしたい」
そう思いながら、自分の足元に目線を落とすと、大してお気に入りでもないフェミニン系のスニーカーとふんわりしたショートパンツが目に入る。
「なんか、嫌だな」そんな漠然とした感情を抱きながら大学に通っていました。
「他人の目より、自分の目を大事にしよう」
短期留学だったけれど、現地で様々な人を目にして、その雰囲気を肌で感じて私の心境は変わったのです。
それは「他人の目より、自分の目を大事にしよう」と思うようになったこと。
どうしてそう思ったのか。それは冒頭に書いたように、アメリカに行って自由だ! 多様性だ! と思ったからではありません。逆に私はアメリカに行っても性別や人種など、自分が生まれ持ったものからは逃れられず、変えられないと実感したからだったのです。ある意味、とても残酷な現実を知ってしまった瞬間だったかもしれません。自分はアジア人で、女性で、レズビアンなのだと。
アメリカに行く前の私は密かに希望を抱いていて「もしもアメリカに行ったら、性別なども気にすることなく、自分らしく生きられるのでは」と考えていた。
日本よりも自由で、様々な人が行き交うアメリカでは、自分の容姿や性別に対してとやかく言ってくる人はいないに違いない、そんなしがらみから解放されるに違いない、なんて。
でも、実際に行ってみると、そんなことは一切なく、むしろ日本では気にしなかった人種を意識せざるを得ない出来事であったり、どこに行っても性別が、いやむしろ国によってはもっと性別に対するしがらみがキツくなるんだ、と実感することが沢山あったのです。
自分らしく生きるには自分で行動するしかない
こんなことを書いていると「どこに行っても自由になれないの?」なんてネガティブに感じてしまう方もいるかも知れません。でも、そういうことを伝えたいのでは決してなくて。
私がそこで思ったのは「どこに行こうと、どこに住もうと、他人の目は簡単には変えられない。変えられるのは自分の目だけ」ということ。
もちろん、もっともっと時代や価値観がグレードアップして、進化していくことを願って行動することだったり、実際に行動してきた人たちに敬意を抱く気持ちは変わりません。
でも、あなたを傷つけてくる目の前の人と無理に戦う必要はない。傷ついたら、距離を置いて。傷つけられたら、ちゃんと逃げて。ひどいことを言われたら、ちゃんと怒って反論して良い。
帰国後の変化
そんなちょっとした意識の変化から、私は日本に帰ってきてから、少しずつ自分を出すようになりました。今まで周りに合わせるためだけに着ていた服も全て友人にあげるなどで処分し、髪型も自分がしたかったハンサムなショートカットに。
スニーカーもカバンも、ピアスからネックレスまで、服装も髪型も自分が本当にしたいと感じて気分が上がるものに変えて。
そしたら、誰よりも私が元気になって生き生きとし始めた。街なかでふと自分の姿を目にしても「ちゃんと自分がしたいと感じる気持ちを尊重している」と実感して、嬉しくなった。ため息が笑顔に変わった。
ただ、そんな吹っ切れたようにしていても、大学では「メンズが歩いてる」だの「女の子なのに、なんでそんな髪型してるの?」など色んな視線と様々な声は聞こえてきた。
そんなときはいつも、掛けられた言葉そのものに傷つくのではなくて、自分はやっぱり人と違って浮いてしまっているのだ、という事実に落ち込んでしまった。
でも、そんななかでも「カッコいいね」だったり「いいね」という声を受けることも増えた。そう、批判的な声も聞こえてきたけれど、肯定的な声もちゃんと聞こえるようになってきた。
そうだ。私は変わったかも知れない。でも、もっと厳密に表現するのであれば、これが本来の私の姿。ずっと色んなものを身につけて誤魔化してきたけれど、ゆで卵の殻を剥いてちゅるんと中身をむき出しにした、本来の私の姿はずっとこうだったのだ。
メイクアップなどで武装した姿も私だし、半袖短パン少年のような素顔もその全てが私。
もちろん、その卵の殻を被った姿も私だし、剥いた姿も私であることに変わりはない。もしかしたら、いつかまたその殻をかぶる時もあるかも知れない。
大学の入学式は「浮いてしまわないように」と、ただそれだけの理由を自分のなかの最重要事項に設定して、レディースのスカートスーツにパンプスを履いて出席していた。
でも大学での4年を経て、色んなことを学んで様々な人に出会って「ちゃんと自分を生きよう」と決意した私は、自分がカッコよく思えて、一番好きな姿であるパンツスーツで出席した。
女性特有の綺麗なスタイルが映えつつも、レディーススーツの変なくびれも無く、ジャケットの丈が短すぎることもない。ブカブカのメンズスーツでもなく、ユニセックスな身にピッタリと、そしてなによりも自分の心に合うスーツを選んだ。
そんなスーツ姿でビシッと決めた大学の卒業式の日、同性の子から告白を受けた。
ちょうど私がアメリカから帰ってきて変わり始めたころ辺りから、カッコいいと思い続けていてくれたらしい。さらには、別の子からは「同じ教室で授業受けるとき、後ろの席に座ることが多かったんだけど、いつもカッコいいなぁって思いながら見てた」なんて言葉をもらった。
どうしてもっと早く言ってくれなかったの!笑 という気持ちだったけれど、素直に嬉しかった。
だから、もしかしたら、あなたの周りにもそう密かに思ってくれている人は沢山いるかもしれない。だから、あなたはあなたらしく生きてほしい、なんて偉そうにも思ってしまいます。
色んな人の文章などを読んで、それこそ「スキ」をくださる方のなかには、自分のセクシャリティや、人と違うこと、人に言われたことなどで傷ついたり悩んだりしている人が多いように見受けられるから。
また別の記事で書こうと思いますが、私はセクシャリティ以外でも、多くの人とは全く違う道を歩むことが多くて、ずっとずっと悩んでいました。その分、人に迷惑をかけてしまうことも多くて、心配をかけてしまうことも多くて。もしかしたら今もその延長線上かも知れません。
ただ、そんな私だから素敵な貴方にこれだけは伝えたいのです。
貴方がどんな道を歩もうとも、人は「それは間違った道だよ」と言います。
どんな道を歩んでも、そう言われるのであれば、自分が信じた道を歩んだ方がずっと良い。その道を自分の足で実際に歩んでいくのは貴方自身なのだから。
自分は人と違う、どうしてみんなと同じようにできないんだろうと、私はずっと後ろ向きに人生を歩んでいました。でも、どうせ生まれてきたのだから、どうせなら前向きに人生を歩んだ方がいい。そんなふうに思えるようになり始めたのは、つい最近のことです。
私の実体験を元にした文章を通して、今日も貴方になにかしらプラスのものが届きますように。
この文章を通して、どうか貴方の心が少しでも晴れますように。
p.s.
いつも「スキ」やフォローはもちろんのこと、コメントや、さらにはマガジンへのピックアップなどありがとうございます。一人でも多くの方になにかプラスのものよ届け! と思いながら文章を更新しているので、大変励みになります。感謝です。
暑い日々ですので、相変わらずご自愛を。
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