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影のない絵

「曇った日の海のほうが好きだ」
そう言ったひとがいた。
曇り空のしたでは、たしかに山も建物も輪郭がより明るくなる。


ひさしぶりに、鉛筆と消しゴムで模写をした。
ルネ・オーキンの撮影した、ロバート・キャパのポートレート写真だ。

描いてみたが、つるんとし過ぎている。彼から滲み出る茶目っ気と艶気が出ない。
眼の周辺が明るすぎるのだ。
闇も微笑みの一部であると気がついて息をのむ。
地雷を踏んでもカメラを離さなかったキャパが、ファインダー越しに理解されるわけがないと見る者を嘲笑っているようだ。
なんとも逆説的で、不敵な笑みである。


白黒写真のため、輪廓か影か区別がつかぬ箇所が山のようにある。
髪の毛は漆黒で、彼の表情と相まって吸血鬼に見えなくもない。
目を凝らすと、額の隅に皺ともうすい痣ともつかぬ影が見える。描けば描くほど、あらたな影が見つかる。紙面にまで映らない皺とも影ともつかぬ線がうっすら見えてくる。もはや目の錯覚かもしれぬ。
ほんの数ミリの動きで印象を一変させる表情筋の、なんと精緻なことか。
額の生え際すら表情の一部なのだ。


皺の数は少なければ少ないほど良い。
若く見られるのは良くて老けて見えるのはよろしくない。そんな風潮がある。
わたし自身も、年齢に抗っていないかと言えばウソになる。少女のあどけなさへの羨望はいまもって止まぬ。

でも、キャパの写真を模写していて思う。
目の際の皺から生まれた陰影は不死鳥の翼となり、羽ばたく。
顎にかかった十字の皺は星座となり、輝く。
敬遠されがちな目の隈は奥行きを孕み、艶を纏う。

物書きの開高健が、キャパを評して「一度酒を一緒に飲んでみたかった男」と書いていた。最高の賛辞ではあるまいか。

ひさしぶりに、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を読みたくなった。

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