一般的に認められてる論法に対して私は反対する原因の一例

周りの年長者が映画誕生の話をしました。
そしてあの人は一つ軽く批判しました。
当時の一般人の反応は映画と現実を混同しがちで、汽車が本当に画面から飛び出しそうだと思いびっくりする。
そのような映像を見せてくれました。
そして彼はこれに対し弁証をしました。
正直よく覚えてませんが、記載のある映画に対する評価発言で、矛盾点を見つけ出して、その矛盾点で本当は混同してないと証明し、その映画を撮った人は一般人をバカにしていると言いました。
この弁証法に対して私は不愉快でした。
この弁証法では何の説明にもなりません。そしてこれは証明するまでのことでもないと思います。
混同する人やしてない人、きっと両方が存在していた、その人たちの間では揉め事起きてなかったかは知らないが、一般人が混同してびっくりする内容を撮った人の意図は、それと関係があるとは限りません。記載のある発言者たちも同じです、とにかくそれぞれの関連性を証明できません。
ネットのない時代なので、一般人のあらゆる層、映画を撮った人、発言者たち、全てお互いのことを全く知らない可能性が大きいのです。
この話をしてくれた人はただこの論法を使い今時の価値観でカッコつけたかったと私は感じました。
正直この風潮があることに私は非常に不愉快です。
世間が正しいと思っているもの、その中の多くは私にとって非常に有害なもので、受け入れたくありません。私は常に違和感を感じています、その違和感は論法にあると私は分かりました。きっとこの論法のせいで世の中の偏向性が消えないのでしょう。
多くの人は自分は一番合理的で正しいことを信じてるとしか思ってないのですが、まだ色々説明できないことから目を逸らしています、そして自分がやってるのもあくまで論法の一つだと分かっていません。自然と正しい方が残ったわけでもなく、キャンセルカルチャーで勝っただけだということも分かっていません。
この論法で人権が不平等になるのは絶対に止めなければなりません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?