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『妖怪の孫』視聴ノート

私達は、忘れっぽい。
ときが経てば、いつの間にか日常に取り紛れていつまでもひとつのことを覚えてはいない。
為政者は、そんな民衆のあり方を熟知している。
どうせ忘れる。
いずれ忘れる。
目新しいニュースを次々に見せておけば、いつかは記憶が曖昧になり、なかったことになっていく。


視聴していて、そのことを、はっきりと認識せざるを得なかった。


妖怪の孫とは、安倍晋三。
要領が良く、イメージで人心を掌握し、問題を巧みにすり替える。
わかりやすいキャッチフレーズ、にこやかな笑顔、インフルエンサーと写真を撮る。
イメージの政治。
その一方で、
虚偽答弁118回。

インターネット、SNS利用。政治家は、マスメディアの機嫌を取らずとも、自ら発信すれば良い。
マスコミには厳しくなり、総務大臣は電波の停止をちらつかせる脅し発言も。
ジャーナリズムは萎縮した。
報道の自由度は過去最低をマークした。
マーティン・ファクラーは言う。「日本のメディアは未だに、1940年代」(戦時下のジャーナリズム)だと。

日本のGDPは世界第3位(映画公開当時)だが、人口の多い国・規模が大きい国は上位になるようにできている。比較は、国民一人あたりでおこなわないと正確な評価はできない。日本の、国民一人あたりGDPは、世界第27位。先進国から脱落しつつある。これが、アベノミクスの結果。
トリクルダウン(富裕層が富めば、そのおこぼれが庶民たちにもまわってくる)は、起きなかった。

経済界を振り返る。自民党への大口献金額が多い業種の棒グラフが示される。その隣には、著しく減税を受けている業種の棒グラフが示される。
この2つのグラフには、相関関係があるというのだろうか?因果関係があるというのだろうか…?

いずれにせよ、
いまの日本社会は、歪んだ舵取りの帰結として現出している…?

内容には、判断を保留にしたいものもあった。
『分断と凋落の日本』(古賀茂明)を読んでいるときにも思ったことだが。
再生可能エネルギー、電気自動車。
以前は、日本企業が先導していたものが、いつしか日本企業の占める割合が微々たると言うしかないものにまで落ちていると示される。
この2つの推進についての是非には、首を傾げる。
日本国内のあちこちに、農地を潰し、山の斜面を覆う黒い太陽光発電パネル。
太陽光を遮ると、国土は痩せる。太陽光を遮られた地面からは、植物は生えない。
電気自動車。
電気はエネルギー効率が悪いし、厳寒の季節にはガソリン車のメリットの方に軍配があがる。モバイルデバイスの電池は使うにつれて減りが加速する。電気自動車の電池はどうなのか。自動車火災の際の危険性は。消火の際に、放水という手段が使えない。
環境保護を前面に掲げる世界的な風潮の裏には、何があるのかを勘繰ってしまう。この映画では、その問題についてはとくに触れられていないようだ。


妖怪とは、「昭和の妖怪」との異名を持つ岸信介。
安倍晋三の母親洋子の父。
東京帝国大学を主席で卒業し、東條内閣で閣僚を務めた。敗戦後はA級戦犯として巣鴨プリズンに収監されるも、不起訴となり昭和23年に釈放。32年には首相就任。CIAのエージェントという話もある。1960年の日米安保条約調印時の首相であり、岸の念願は自主憲法制定。一方で、国民年金法、国民皆保険、最低賃金法という戦後日本社会の福祉の根幹は岸が首相だったときに成立しているという大きな存在の政治家。

『妖怪の孫』安倍晋三は、どのように育ち、彼にとって、祖父岸信介はどのような存在だったのか。
他人の生育歴・人となりをあれこれ言うのは好ましくないという意見もあろうが、国家・社会にもたらす影響の大きさは市井の一般人とは比較にならない人物である。
野上忠興、古賀茂明らへのインタビュー、さまざまな参考文献などから描き出される人物像は興味深い。

政治家の家という特殊な環境に生まれた子どもの生活は、家業(政治)中心にならざるを得ず多忙な両親を持って、寂しいものにならざるを得ないようだ。中学生になってもお手伝いさんの布団に潜りこむ寂しがりやの少年は、勉強嫌いだった。宿題をやってないのに「やったよ」と、すぐバレる『虚偽答弁』でその場をしのぐ。仕方なくお手伝いさんが左手で宿題の日記を代筆する。ただ、要領はいい。勉強を怠けるのにどうして落第するでなくそこそこやっていけるのか尋ねられると、「要領だよ要領」と答えたという。
のちのアベノミクスにおいて、経済成長の具体策を提示せず要領の良い演出で雰囲気作りをしていること、「見せかけでいいんだよ」「アベノミクスは『やってる感』なんだから」という言葉に通ずるものがある。

家庭には、家族の団欒と呼べるようなものはなかったようだと語られる。
生育過程において、構われなかったという母親への不満・恨みが、母の偉大な父親:昭和の妖怪・岸信介を超えたいという思いの原動力になる。その為に、自分が総理になって自分の任期で憲法改正を目指そうとする。
そんな文脈で語られていく。
実際はどうかわからないけれども、仮に本当だったとしたら随分はた迷惑な動機だ。一国の憲法改正を、自己実現の道具にされたのではたまったものではない。国家単位で私物化してどうする。
しかも自民党の憲法草案は、憲法学の常識を全く履き違えているお粗末な代物だ。
憲法学の第一人者、小林節氏は語る。
「憲法は制限規範。権力者が踏み外してはいけないことを規定したものであるというのは常識である。法律は国民を、憲法は権力者を縛るものであることを知らずに、誤解しているのではないか。
自衛隊の明記にしても、『国民を守る』とは書いてないし、「必要な」と言う文言の使い方で現行の9条の2を骨抜きにするものとなっている」と。 


自民党の改憲の目指すところは、明治憲法に戻すことが目的であり、世襲議員たちの利権はそこにある。

今、かつてないほどに官僚が変質してきていると古賀茂明氏が語る。
萎縮。政治に対して臆病になり、直言しない。
官僚とマスコミの関係も、変化しているという。
「マスコミにネタ提供しても握り潰されるというか、もしかすると通報されているかのような恐怖を覚える(匿名官僚)」という意識も芽生えているほどらしい。

集団的自衛権の法解釈にしても、内閣法制局という、いちばん厳しいはずの役所が変わってきているという。

利害を共にする者同士が政治経済を私物化し、報道の自由度は著しく低下し、社会は萎縮していく。
視聴していて、持てるものは更に手に入れ、持たざる者は更に奪い取られ、弱い者を見下し権力者に気に入られることを喜びとする社会に、急激に移行していくのを感じてゾッとする。

そして、

国会の虚無化

閣議決定

原子力回帰

責任の無視

見せかけの政策

選挙に勝てば正義

野党とマスコミの機能不全


戦争への 道………。


映画は最後に、

大切な人のために…

というメッセージを残して終わる。

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