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一生ボロアパートでよかった⑬

あらすじ
自慢だった新築の白い家が、ゴミ屋敷に変貌していく。父はアル中になり、母は蒸発し、私は孤独になった。
ーーー1人の女性が過去を振り返っていく。

 春休みの終わりが目前に迫った4月の頭。春の日差しを受けて花々が芽吹くように、私の心にも焦りが芽吹き始めていました。

 あともう少しで新学期になる。中学3年生になる。そして今年は高校受験がある。それが私の中で焦りを芽吹かせる主たる原因でした。少し先の未来を考えれば、新学期からでも学校に行くべきである事は明白でした。

 でも私にはそれが恐ろしく怖かったのです。だって、もう既に一度逃げてしまいましたから。私はきっと、皆から"不登校になった奴"と思われているに違いなく、それがまた私の劣等感を増幅させていました。

 ただでさえ皆と違って生まれた家庭に恵まれず、勉強もできない、塾にも行けない、クラスに友達もいない奴なのに、さらに"不登校になった奴"という肩書きを携えて学校に行くのは、私の歪んだ矮小なプライドが許さなかったのです。

 その歪んだ矮小なプライドと「もう少ししたら学校に行かなきゃ」という焦りが、この頃は常に心の中でせめぎ合っていて、生きた心地がしませんでした。目覚めては考え、悩み、そして自分に嫌気がさして死にたくなる。それをひたすら繰り返していました。ともかく生きている事が苦しかったです。

 私はどうにかして、その苦しみをを紛らわそうとしたんだと思います。あの行動に至った動機も感情も、よく覚えていません。衝動に違いものだったのだと思います。

 私は、両親の部屋を荒らしたんです。両親が仕事でいない間に徹底的に。私が抱えている不幸は全部両親のせいだと思うようになっていましたから、その苦しみを両親にぶつけてやりたかったのだと思います。

 まず、母の部屋からやりました。母の部屋は整理整頓されているとは言えませんでしたが、ゴミ屋敷の中にある部屋とは思えない程度には片付いていました。女王たる存在感を放つクイーンベッドが部屋の真ん中に配置され、この部屋の住人が家の主であると主張しているかのようでした。

 私は母の部屋に入ってすぐ、化粧台の上の綺麗に並んだ香水を、ぐわっと両手で払いのけるようにして床に落としました。硬い音を立てて香水の瓶が3つ4つ落ち、その内の一つから液が漏れ出ました。モワッと香水の匂いが部屋の中に充満しました。母がよくつけていた香水の匂いでした。お気に入りの香水だったのかもしれません。母と最後一緒に寝た時に嗅いだ匂いでした。私が大嫌いな匂いでもありました。臭かったです。
 次に、化粧品の入った大きなポーチを逆さまにしました。バラバラと中身が床に散らばり、粉が舞いました。ケースが開いていたのかファンデーションが散らばり、そこに敷いてあった黒のカーペットが薄茶色になって汚らしく見えました。それから、化粧台の中の高級そうな化粧水が目の端に映ったので、それも何本か床にぶち撒けました。
 ベッドのシーツと掛け布団もごちゃごちゃにしました。更にその上に、化粧台の中に仕舞われていたマニキュアを取り出して、中身をボタボタと落としました。すると今度はシンナーの臭いが部屋に充満しました。香水の匂いと違って、なぜかそんなに臭く感じませんでした。布団の上に赤とベージュと紫の柄がアーティスティックに描かれていました。
 最後に、タンスとクローゼットの中身を引っ張り出して、次々に服を床に投げ捨てました。どこに着て出掛けているのかわからない派手な服は、対面した時に何故かとても憎らしく感じたので、ボタンを千切ったり袖を引っ張って破ったりして徹底的にいじめてやりました。ひと通りしてやった後、タンスの奥から昔私が母にあげた花柄のハンカチが出てきて、そこで母の部屋を荒らすのをやめました。

 続いて父の部屋をやりました。父の部屋は、とても汚かったです。母の部屋が女王の部屋なら、父の部屋はゴミ屋敷に相応しいゴキブリの部屋でした。リビングに比べたらごみの量は断然少なかったですが、床の全てをゴミや荷物やらが覆っていました。膝くらいまで高さがあったと思います。ゴミを入れたコンビニのビニール袋が何個もあって、私が動くとそれがガサガサと鳴りました。ベッドの上はそんなにゴミが置かれていなかったので、シーツが汚れているのを確認できました。シーツは洗われていないからか、頭とお尻のあたりだけ色が濃くなっていました。ベッド周囲の足元には、おびただしい数のお酒の缶と瓶が転がっていました。

 結果から言えば、父の部屋は荒らしたのですが、ビフォーアフターを比べても大して変わりませんでした。極端に父の私物は少なく、手当たり次第物を投げようとも、拾う物全部がゴミでしたから。ゴミの配置換えにしかなりませんでした。

 仕方がないのでとりあえず、ベッドの上にゴミをたくさん置くことにしました。ベッドの近くにあるゴミを掘り起こしては、ベッドの上に投げ置きました。

 すると、ゴミを掘り起こしていた場所から、私が昔使っていたベビーチェアが出てきたのです。それと絵本、オモチャ箱、幼稚園の発表会で着たてんとう虫役の衣装なんかも出てきました。

 私は不思議に思いました。これらの荷物は物置部屋を私の部屋にした時、母が捨てておくと言っていたものだったからです。あの翌日には、玄関前の廊下に出されていました。私はソレを学校に行く前にこの目で見たので、間違いありませんでした。ソレが何故か、父の部屋にありました。

 この時は、全く意味がわかりませんでした。なぜソレが、そこにあったのか。でも、後でわかりました。これももしかしたら、一つの兆候だったのかもしれません。まあ、今言ったところで後の祭りですけどね。

 父のベッドにゴミを積み上げた後、私はリビングに行って夕飯のお茶漬けを腹に流し込み、水筒に水を入れ、食パンを袋ごと持って自分の部屋に篭もりました。両親の反撃を危惧して立て籠もりを覚悟していました。わずかな食料と水を確保して、自分の部屋に入り鍵をかけ、薄寒い自分の布団でデザートがてら食パンを一切れ食べました。これが私にはこの上ない贅沢な瞬間でした。

 その後、すごくよく寝たんです。

 深夜近く母が帰ってきた頃に、金切り声と私の部屋のドアをけたたましく叩く音が聞こえました。でも想定の範囲内だったのであまり気にならず、うっすら目を開けた後すぐにまた寝てしまいました。少しだけ泣き声が聞こえた気がしましたが、よく覚えていません。これは不確かな記憶です。

 昔私が母にあげた花柄のハンカチは、優しかった頃の母の香りがして、なんだかすごく心地良く眠る事ができました。この日ずっと、それを顔の近くに置いて眠っていました。

つづく

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眠れない夜に

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