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    これは映画に”まつわる”本だ。「まつわる」ということは「について」ではない。「渚にまつわるエトセトラ」が渚についての話だけではなく、メリケン波止場やさみしそうなペリカンも含めるように、そのものの周辺もひっくるめる。この本に印刷される言葉や写真達は映画との距離を長短しながら自分達が適度だと思える範囲を浮遊する。よしんば映画と一体になれるなんて思わない。フラッと近づいては遠ざかりながら、なんだか心地いいところを探してみる。さて、そんな夢みたいな地点があるのか、という問いこそが今回のManiecのテーマだ。

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自由—、わたしたちは非常によくこの言葉を使うじゃないか。いや、わたしたち。違うんだ、わたしは自由なんか求めてなんかいない。ねえ、自由って、なんだと思う?わたしはない知識と常識の範囲内で「自由」ということについて考えてみるようかなと思う。普段「自由」なんて概念は正直わたしの中にはサラサラない。今回こんな話をしてるのも、実のところ真夜中に友人と二人で表参道のコムデギャルソンの前を通りすぎた時、ディスプレイに大きな文字で「自由を〜うんたらかんたら」と書いてあって「自由って、みんな好

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    • 『世界のすべての七月』読後の覚書

      ティム・オブライエン、村上春樹訳の『世界の全ての七月』をゆっくりと読み終えました。色々と穏やかな気持ちになった……。1969年度の大学卒業生が50歳を超えた2001年に同窓会を開き、そこに集ったメンバーのそれぞれの人生を追った群像劇。私はティムオブライエン作は5-6年前に読んだ『本当の戦争の話をしよう』以来だったので、なんとなくヴェトナム戦争のひとという先入観からの読み始め。でも、ヴェトナム戦争の話もそこそこに静かな人間ドラマで、戦争や癌や恋愛や離婚や仕事……様々なことが同等

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      • ブロンコ・ビリーにまつわるエッセイ 西部劇であることの必要性について

         どの映画にも当然のように映っていながら、まるで映っていないかのように扱われているモノがある。映画だけではない。私たちの暮らしにはそんなものが山のようにある。しかしそのあまりにも当然すぎて見逃していた細部が、ふとしたときに映画の中にいる者や物を動かしたとき、忘れ去られていたその存在を急に主張したときは感動的だ。 だからといって「ブロンコ・ビリー」の主人公であるクリント・イーストウッドがかつて存在した西部劇のカウボーイをアメリカ各地で今更ながら演じている姿を見て、「西部劇」やそ

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        • 映画メモ

          あの夏の輝きをいつも私は記憶しておきたい。 ある初夏の朝、私たちは珍しく銀座にいた。築地市場に繰り出してから、市場の活気で疲れた身体をどこかで休めようと街を彷徨っていた。朝の銀座はいつも、神秘的である。人がいるはずの街に、人の影がないというざわめき。朝日を煌々と浴びた古いビル。あの夏の太陽の美しさはなんと言うべきなのだろうか。あらゆるものの細部の細部まで、小さな粒子のスパンコールを乗せて、彩っていくような陽射し。立ち並ぶカラフルなスナックの看板。水打ちされたコンクリートから

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          8本

        記事

          ディストピア is

          胸くそ悪い。 深夜のTOHOシネマズ。レイトショー。「ズートピア」が開始された20分後、わたしは「いつタバコを吸いに行こう?」だけを懸命に考えていた。ダイソンのごとく、ただひたすらポップコーンを吸収し続けていた。隣の友人もさぞかし一服したいところだろう、いつ誘ってあげようとワクワクしていたのだが、残念ながら友人はわたしのそんな心遣いをはるかに裏切り、大いに楽しんでくれていたようだった。 わたしたちは映画が終わってから( 念願の )一服をするのだが、わたしには煮え切らない苛

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          原因究明魔をけとばせ

           初めて見てからというもの、もうすぐ3ヶ月が経とうとしていて、これはもう困ってしまって困ってしまって、しょうがない。この映画についての文章を書こうと試みては、挫折を繰り返す日々を送っている。なんといってもこの映画がどうにもこうにも、こう、面白くないのだ。ちっとも私の心をワクワクさせてなんてくれない。じゃあいかにこの映画が面白くないのかを書いてみるか、例えば脚本がダメだとか、カット割りはこれでいいのかだとか、照明はここでいいのかだとか、そんなことを書き連ねていかにこの映画が注目

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          原因究明魔をけとばせ

          子供心と僕らが夢見てきたもの

          少し前は「子供心」っていうやつがすっかりなくなってきているような気がしてた。20代前半ってそんな時期で、無理して背伸びして、子供時代をスレて見下して見て、僕らはもう子供なんかじゃないって言ってみたかったのかもしれない。 でも、20代後半に突入も間近になると、子供心っていうやつをどんどん取り戻しているような気がするんだ。 大学を卒業した僕らに待っていたのは、絶え間ない労働で、利益を追従するために、試行錯誤を繰り返す日々だった。挫折しそうな自分をなんとか支えきって、大人として

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          子供心と僕らが夢見てきたもの

          前文

          これは映画に”まつわる”本だ。「まつわる」ということは「について」ではない。「渚にまつわるエトセトラ」が渚についての話だけではなく、メリケン波止場やさみしそうなペリカンも含めるように、そのものの周辺もひっくるめる。この本に印刷される言葉や写真達は映画との距離を長短しながら自分達が適度だと思える範囲を浮遊する。よしんば映画と一体になれるなんて思わない。フラッと近づいては遠ざかりながら、なんだか心地いいところを探してみる。さて、そんな夢みたいな地点があるのか、という問いこそが今回